DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2011.09.29

第29号  ピーターは駅前のギタリスト。

ピーター・ディクソンは、ラテンから、インド音楽、ジャズまで、弾きこなすギタリスト。ダブルネック・ギターで、表現する彼のテクニックは、どんな感情もメロディーに帰ることが出来るような腕前。普段は、通りがかりの音楽好きの数人が、並ぶ程度のストリートライブであるが、この夜は、20数人が、ピーターのギターの音色に引き込まれて、酔わされて、帰路に着けない。

 もし、、ピーターが、日本の童謡を奏でたら、どんな楽想になるのだろうと・・・考えるうちに、不思議と僕の頭の中には、詩が浮かんでいる。

 熱帯の海辺の家を、土砂降りのスコールが、撃ちつけている。椰子の葉が風に揺れて、寡黙な老人が、煙草に火をつける。老人は遠くの海を眺めている。停泊しているのは、錆びに色を変えた貿易船だろうか?
 老人は、遠く離れた異国の故郷を、思い出している。

「こんな感じの、詩はどうかな」ピーターに尋ねてみると、
「このメロディーに、そのまま詩をのせては?」と微笑んで食くれた。

 音楽が、どんな国境も、宗教も、民族も性も年齢も・・・障壁も越えていくように、ミュージシャンも風船のように心が軽い方が、いい。
 荷物を待たずに、ギター一本で、日本を訪れたピーターと、何処か縁を感じたのは、昔の僕を、見つけたからだろうか?




2011.09.21

第28号 上海のアンバランス

 歴史は街を造る。しかし、町の存在が、運命的に歴史を作るケースがあるように思える。
 そう上海は、いつも、毎日が歴史の中にある。今朝も、歴史が作られている。裏町に、期日を終えたマンション広告の不動産の看板が、無造作に立てられ、一方この町でさえ・・・失業した大陸内陸部の農民が、浮浪者になりビニール袋を枕に昼寝をしている。
慢性病のように、周期的に外国資本の影響を、受けやすいのは、国の政策なのか、この町の”癖”のような性格なのか?

この200年。落ち着かない歴史に、翻弄されるのは、揚子江の出口の海に近い地理的な場所柄から、諸外国の政治の舞台に使われやすいからであろうか?それとも、ここに、”住む竜の頭の数”が、中国のほかの町より、少し多く、隠微なのであろうか?

 人と街が、バランス良く機能しているかどうかは、そこに住む人々の顔に表現される。
 上海は、諦めを通り越して、どこかおっとりしている、すっきりしている長老と、金貨を収奪する強盗のような、バイキングたちが共存している。そこにある未来が、明と暗の間をフラッシュのように混乱する。この町で、どんな子供たちが育つのだろう。


 いい料理人と素材と器の様に,どこかしっくりと落ち着いて旅人にも安らぎ与える町がある。じっくりと弱火で煮込んだシチューのチキンのような深みと、釜で炊きだした米飯のような辛辣なエネルギー、もきちんと両立している町もある。
 フィレンチェや、金沢や、シェナンドーや、ロトルアでは、数週間のんびり凄し、深い睡眠を忘れ、毎朝寝坊をして、昼過ぎに朝ごはんを食べることもあった。そう・・・・震災前の日本のように。

 上海は、とにかく、今日一日をどう生きるかに、掛けるエネルギーが重要である。歩かない、休まない、笑はない、瞼を閉じない、・・・・。それが、上海と言う町の掟なのかもしれない。
 町は、肥大化し、そこに機能(インフラ)が追いつき、最後部を何億もの人間が走る。このアンバランスを、魅力的に思える資本家も、不眠不休で、滑走する。

 僕は、夜明け前に、ほんの僅か数分寝静まったフランス疎開を、ゆっくり歩いている。
 魚の骨を咥えた子供のカラスが別の大きなカラスに追われ、目の前を横切り、振り向くと教会の鐘が鳴り、高層ビルの上で、欠伸をした雲が朝を告げる。

 朝ごはんは、味噌汁が、飲みたい。

 





2011.09.20

第27号 月刊「美楽」10月号

『猫の三毛』
 曲がりくねった海沿いの道を、一日にほんの数本のバスが走っている。軽油の匂いを潮風がどこかに運んでいく。 
 さっきから、バス停の前に佇んでいる少年は、何の夢をみているのであろう。隣の町から迷子になってやってきた犬も、このバス停にくるといつもクンクンと鼻を鳴らしてないている。
 帰り道を探しているのを少年は気がつかなかった。
 電信柱の影が夕焼けに向かってずんずん長くなる秋の夕暮れ。





2011.09.13

第26号 上田正樹さんの”声(たましい)” 

 上田正樹氏が、会社に来ると、風が吹く。関西の風でもなく、ミシシッピーの匂いでもなく、上田さんの風が吹く。

 その風は、生き様や魂を、メロディーの載せて、詩に変えて、声に焼きつけて吹いている。貿易風のようでもあり、稲妻のようでもあり、突風のようでもあり、タンポポをのせた春の季節風でもある。

 風には、力がある、風には、向きがある。風には、重量がある。風には色がある。そして、風には思想がある。

 上田さんと、日本らしい風を、吹かせようと思っている。「大和風」。
その風が、日本全国の、山や、丘や、谷を吹きぬけて、川を過ぎて海を渡り、空に抜ける。雲になり、雪になり、雨にように、心に落ちる。

 そんな日が、来るような、胸騒ぎがする。

この日は、農林水産省の食堂の横の、会議室で、ミニコンサート。
彼の声は、風のように、場所を選ばないし、人を選ばない。
 音楽とは、そういうものなんだと、思う。