DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.04.28

4月28日(月)いつの頃からか出会う女性をいくつかのパターンに分けて、“勝手なイメージ”の引き出し”分類している。

 もちろん年齢や、国籍や、職業など関係ない。純粋にその女性から受ける印象や感覚的なイメージをインデックスをつけて、書籍やCDのように分類している。


 母のような安堵感に包まれる女性、姉のような気丈な人、未熟な妹のように気が気でない存在、幼年時代からの無邪気な遊び友達、気の抜けない男性のようなライバル、そして心が赤く染まりそうなほどのロマンチックな恋人、企業の経理部長のようなそろばん一本の人、交差点ですれ違っただけのただの人・・・・・女性にとっては迷惑なことに違いないが、出会う女性を勝手に自分の中でジャンル分けしているような気がする。


 夜毎、飲み屋に出かけ、人よりは多少いい酒を飲んでいると、変わり者で風采の上がらない僕でも年1回くらいは声をかけられないこともないのだが、どうも最近ロマンチックな雰囲気で女性を感じることが少なくなった。


 特に最近目立つのが、その人のイメージを感じられない、個性のない女性たちの登場だ。顔のない女性たちは話しているようで、何も話さない。饒舌なのだが意味がない。そう・・・・・大量生産された上に、着色された造花のようだ。


 その一つの要因に、話し言葉の退廃がある。すべての会話の語尾があがり、“チョー(超)”オーバーな形容詞を多用し、省略された動詞、略語化された名詞を無関心に使う。日本語の“やさしさ”を忘れたこうした話法にも原因がある。


 シナリオもなく、無理して自分を演出するより、黙って微笑んでいてくれた方が、余程神秘的でましなのにと思う昨今である。



2003.04.16

4月16日(水)教室の都合でいつも昼に定例の会議をしているY氏が、わざわざ車を走らせて10時に訪れる。(写真参照)

 おそらく昼食を取る時間もないので、芝公園のレンガ通り沿いの旧ダイエー本社のスーパーで、飲み物や、おにぎりやそばを仕込んだ。Y氏とは、かれこれ7,8年の付き合いになるのだが会うたびにいつも新鮮なのは、職業も、年齢も、生き方も、2人の性格もまるで異なるからだ。そのY氏が急に最近、僕の話に耳を合わせてくれ始めた。ひょっとして、無理をしていなければいいが?


 窓から身を乗り出して東京湾の方から品川方面に目を流すと、ホテルからプールを抜けて、増上寺に続く道を、ソメイヨシノが低層雲のように覆っている。    

 つい3,4日前まで台湾桜と河津桜が先頭を争うように、淡い未熟な早咲きの肌色を匂わしていたのだが、あっという間に今は葉桜に変わってしまった。   

 早朝に寺まで散歩したときには、朝焼けに染まる淡い花びらが頭上を被い、一面ピンク一色、わずかな隙間から見える春の青空が、まるでおどけたときに垣間見せるY氏の、一瞬の寂しさのように僕の気を引いた。


 夜に近い夕方、日比谷通りを新橋に向かって散歩していると、時折、石楠花のなんとも甘い香りと、例年のようにツツジの華やかな赤紫が、車の騒音が気になら無いくらいに一斉に開花し始めている。


 今晩は、板橋中央病院の中村先生とN氏を交えた夕食会。中村先生は、花にたとえると向日葵のような人だ。穏やかな眼が大きな顔の表情を作り、スローな声に気持ちのゆとりが滲み出ている。派手な黄色ではないが、ストレートに近い濃黄色。決して無理な説得力は試みないが、かといって人に対して消極的ではない。僕の人生の参考書になる人物だ。


 御成門の交差点の横にある公園の道は、東京タワーに向かって45度、放射して直線に伸びている。その両側に港区役所が管理する花壇が続いている。ここでも春を代表するわかりやすい花が植えられている。中でも、マーガレットの群生が素晴らしい。量と数を競い合うなら、花びらの色が多様化してしまうスミレより黄色一色のマーガレット集団にかなうパワーの持ち主はいない。まるで、何の衒いも悩みも無いように見えるのだが、それぞれが一つ一つ必死で咲いている。


 こんな明るい一心同体の組織があったら強いだろうな。“春の営業集団”としては、最強だ。




2003.04.13

4月13日(日)太平洋倶楽部成田コースの支配人だった古木さんが茨城の阿見ゴルフ倶楽部に移られて、今日は支配人のご招待でお邪魔することにした。

 成田空港方面のゴルフ場に1時間車を走らせるのと比べると、普段余り足を向けないせいか常磐道を使う茨城方面は、感覚的にずっと遠く感じる。おまけに、以前帰り道の三郷インターでひどい渋滞にあった経験から、つい苦手意識を持ってしまう。


 阿見ゴルフ倶楽部は、桜土浦のインターから30分ほどの平地に造られた箱庭のようなコース。油断するとグリーンの周辺に砂の難しいバンカーが随所に配置され、旗のポジションによってはパットのラインが難解なために3パットのボギーを数える。


 朝の1組でスタートし、前半のハーフは3オーバー、後半は雨に降られたため途中で上がった。ロビーで、ミルク紅茶を飲んでいると、半年振りに古木さんがご挨拶に見えた。何処であっても、いつ会っても慶応ボーイを髣髴とさせる紳士。アメリカではあの名門「べブルビーチGC」の支配人をされていた。

 初めてお目にかかったときに、

「ゴルフ場の仕事ですけれど、僕はサッカーが好きなんです。最近はマラソンに凝ってるんですよ」

 日本のゴルフ場が、バブル以降売上不振にあえいでいる一つの原因に、その所有者偏重の会員制度に振り回された無理なマネジメント 、つまり日本人に似合わないスノブな運営が挙げられる。会員制度とは本来その場所に、実体的に責任を持てる人が運営すべきなのだ。


 地域に溶け込んだマネジメント、地域の住人への特定サービス、地場の青少年の育成、そして馴染み易い支配人とスタッフ。


 古木さんの手腕で、阿見ゴルフ場の18番ホールに、秋のお米の収穫祭の“祭囃子”が聞こえてもおかしくない日が来るように。



2003.04.03

4月3日(木)青山のF化粧品に通販番組を提案する機会があって午前中から女性の顔や化粧品の事ばかり考えている。(写真参照)

 なぜ女性は化粧をするのだろうか?

“いつの時代も女性は綺麗になりたいから”などという行為から生まれる結果を単に受け入れるのでは、市場の分析が必要な僕の仕事には中途半端な結果になりかねないので苦労している。


 女性が鏡を前に、化粧をする態勢を作る時、そこには“ある心のパワー”が動き出すのではないだろうか?
 それは、男とは無関係な女性独自の社会構成の変化や、変化する時代の背景にある女性の歴史などの、“女性のチカラ”の発露の加減を、それぞれの個人(女性)がどう自分を表現していくのか?どうもここに答えがあるのではなかろうか?


・・・・・・とすれば今の時代の化粧品ほど・・・・元気になりたい女性に
支持される商品。元気になりたい女性を応援するブランドが要求されている時代はかつて無かっただろう。


 美しさの根源はいつも「健康な状態」から始まる。

変化のない日常の生活にメリハリを付けるための変身願望や、“勝負の日“彼氏に決心させたいために“渇”を入れる為、などの内面の個に向かっていくものや、例えば何処かの国の女性政治家の下手なスピーチを彩る“赤いルージュ”や社会的ステイタスを意識したPTAのお母さんの“濃くて長い眉”のような外面の集に重点を置いたものであったとしても、其処には“気力”が働いている。


 車や衣類、時計、料理などと同様に化粧品も、ご多分に漏れず“金があったら、これがほしい”という希望レベルのマーケット・ニーズは海外産のブランド物が仕切っている。しかし戦後のコスメ市場をリードし、独占してきた資生堂、カネボウ、コーセーなどの大手の実際の業績は、ここのところ新規参入組に押され気味、戦国時代の様相を呈している。


 プレゼンを終えて、T社長の横顔を眺めている。われわれのプロジェクトに対して全面的に信頼を置いてくれている。この夏から。僕が応援する新しいF社の商品は、決してこの戦争に負けられない。


 それは、生まれてからずっと女性の元気から“運とツキ”をもらってきた僕の人生の恩返しでもある。