DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.10.29

10月29日(火)夕闇の中、茨城・筑波の畑の中で童心に返って神蔵君(イマジニア)とゴルフ。紅葉と冷たい風で二人とも頬っぺたまでモミジ色。

 この不況の中、朝から、夜まで1日中ゴルフ場にいると何か遊んでいるように思われる。(僕は本当に足腰強化と肺活量アップ、健康維持のために必死なのだが)生真面目な人には不謹慎と言われるし、会議好きの人には非常識と思われるし、事実ロスタイム、携帯電話がブルブル震えると気分も何か後ろめたく、よってツキが落ちそう、スコアーも・・・・・ということで最近は午後からの“薄暮プレー”によく出かける。


 バブル時代の昔から、次のようなパターンの1日には疑問を持っていた。まずは2日酔いの朝6時の起床、うとうとしながら高速道路を飛ばしてコースに7時半到着、ばたばたと朝食を済ませ、パットの練習もせずに8時半から前半のハーフのプレー開始、名門コースの土日だとプレーヤー混雑のため1ラウンド5時間は掛る。しかもスポーツの最中とは思えないような“重たい”昼食時間の1時間を加え、3時過ぎにプレーを終える。慌ただしく風呂を浴び、滅多に時間をさけない偉い客(VIP)に気を使って軽い夕食を取ると、コースを出るころにはもうあっという間に夕闇の中。午後5時を過ぎると東京へ向かう高速道路は倉庫帰りのトラックで大渋滞、結局家に帰ると7時過ぎ・・・・・。あっという間にまるまる12時間を消費する。こんな無駄な時間の消費は不愉快だった。


 それに思い出すと、この非効率な1日ゴルフで“泣きっ面にトラブル”の記憶は数限りない。まずは、車の故障がらみのトラブルが意外と多い。ナビが壊れ山梨の田園地帯の畦道で途方もなく方向を見失い心細い思いで闇に浮かび上がる富士山をボーット見ていたことや、夏の暑い盛りの東名高速でのオーバーヒートで汗だくになりJAFを2時間も待ったことや、台風来襲の午後に無理して出かけ、強風でワイパーが壊れて走れなくなってしまったこともあった。この時は、電気系統も同時に故障したのでオープン・カーの屋根が閉まらなくなり車が水浸しになってしまった。


 さて、今日は太平洋ゴルフクラブの支配人だった古木氏の転職先の「阿見ゴルフクラブ」ですっかりお世話になった。神蔵君の練習も兼ねていたので、同じ所から2打も3打も納得行くまでグリーンを狙った。気が付くと、夕闇に包まれたコースには僕たち2人しか存在しなくなっていた。


 昔、砂場で落とし穴を作っているうちに友達みんなが帰ってしまい慌てて家路を急いだ頃、何処か満足な気持ちになったのを思い出した。

 人より余計に遊んだ充実感。時間を忘れ、ルールを忘れ、あらゆる制約を意識せず、思う存分遊ぶ。


 そんな夜に空を見上げると、決まって月がやけに明るく見えた。いつもより月が輝いて見えた。今夜は不思議とそんな気分になった。子供のころは、夜という時間帯は存在しなかったように記憶している。月のすぐ裏側に、明日の太陽が隠れていたような気がする。



2002.10.19

10月19日(土)雨が降り始めた。このところ週末はいつも雨降りだ。いつもの様に品川プリンスシネマで映画「ロード トゥ パーディッション」を見てきた。

昼の間に映画を見るのはどうも時間がもったいない。太陽が空にあるうちに何も2時間も暗闇の中に行くことはない。そんな訳で、週末の土曜日は必ずオールナイトに出掛ける。良い席も空いているし、終了後に夜の東京をぶらぶら歩くと映画館の臨場感とストーリーを少しの間引きずっていられる。うまくすると詩が浮かんで来る事さえある。


 一方で、お台場や品川に登場したシネコンの椅子はゆったりしすぎて毎回睡魔との闘いも強いられる。よって駄作を見に行ってしまうと殆ど最初の20分で寝てしまう。先日行った「サイン」(メル・ギブソン主演)というB級映画は10分で熟睡してしまった。突然目が覚めて気が付くと、安っぽい宇宙人がスクリーンの中で頭を抑えていた。どうも、地球人のバットで殴られたらしい?


 「ROAD TO PARDITION」。この映画は早くも間違いなく今年度のベスト・ワン。ポール・ニューマン氏の燻し銀の役作りは勿論のこと、最近駄作の出演ばかりが目立つトム・ハンクス、その息子を演じるタイラー君は2000人のオーディションから選ばれた天才少年だ。3人はいずれも親子の愛とマフィア組織の義理や宿命との間で心揺れることになるのだが、激しい殺し合いが続く緊張感と1930年代アメリカの美しい風景と巧みな照明、やや青みがかった映像美の中で、それぞれの役者が実に微妙な忍耐と迷いと悲しみの表情を残酷なまでに作り出す。これは、深作欣司監督の「網走番外地」でもあり、コッポラの「ゴッド・ファザー」でもあり、殺戮のシーンにおける音楽と映像のバランスは「2001年宇宙の旅」にも匹敵する。


 母と父と弟を失うことになる身寄りのない主人公は、父が以前弾痕に倒れた時、その身を預けたパーディション市への途中の農家を故郷にすることになる。


 此処のあたりの田舎の風景が、古きよき時代のアメリカを象徴している。全編血で血を洗うギャング映画のラストに見るものの疲れを癒し、安心させるような「心の故郷」の絵でこの映画は終わる。


 「故郷」と言えば、北朝鮮から一時帰国した拉致家族の故里での再開シーンが、テレビで流れている。24年ぶりの再会。羽田空港に帰国したときより、ずっと人間的に解放された表情で、両親や昔の友人と抱き合い泣いている。彼らは、東京で記者会見をしたときより、「故郷」に帰郷したときの方がはるかに自然で素直になっている。


 最近のこの国は「両親」、「故郷」や「会社」、「友人」、「国家」、などの個人のアイデンテティを確認する何かが喪失しつつあるように思える。こう考える私自身も、生まれてからずぅっと“根無し草”だ。戸籍があろうが、パスポートが発行されようが、名刺があろうが、メールアドレスがあろうが、精神的に戻れる「故郷」が見つからない。


 帰国した人々が見せた“あの涙”が羨ましかったのは、私だけだったのだろうか?





2002.10.17

10月17日(木)秋の深まる芝公園のあたりに、めずらしく海の匂いがしている。東風に乗って時折銀杏のはじける音が聞こえてくる。朝の散歩の途中、自転車につけた買い物籠一杯に銀杏の実を拾った中年の紳士を見ていた。

 不況が徐々に庶民の生活を打撃し始めている。99円から始まった在庫処分の店はついに一律66円ショップの誕生を促し、一方人事院の給料が昨年比マイナス、これは戦後始めて「公務員の給料が下がった」というわけだ。マクロ経済というより悪路経済。株価はついに8100円台。


 メディアでは評論家が様々な不況の打開策を好き勝手に論じているが、大衆に影響力の或る鋭い意見は少ないし、個人業の限界を感じる人が殆どだ。彼らは、政治的にではなく、もっと固まり、多様化し、メディアを一貫的に駆使して、その声を高く解かり易くし、社会を先導してほしいものだ。ひょっとすると評論家自身が何処かに諦めを感じているのではなかろうか。或は学生時代に体験した組織的な運動で社会的なムーブメントを作り出すことに嫌気をさしているのだろうか?どうも小銭稼ぎの学者ばかりに思えてならない。
 

 勝手な想像だが、今朝、銀杏を集めていた紳士も、つい最近まで勤務してきた会社を解雇されたのではなかろうか?冬の気配の中で、規律美しく櫛をいれ整髪された白髪が風が吹くたびに少し解れた。


 スケジュールが密集し、しかも朝まで橘君と深酒したせいで体がだるい。MKタクシーを借り切って、青山のキョードー東京でポール・マッカートニーのチケットを購入、ホテル・ニュー大谷で久しぶりに松島君と30分お茶をした。その後、芝公園のサンクスで高田常務に面談。帝国ホテルに向かった。タワー新館を借りているY氏は、窓際に立って西銀座と皇居が対照的に開けた夕闇の東京を見ていた。この後のパーティ用に着用した上着をクロークにしまい、

「東君、帝国の部屋の方が東プリよりいいだろう」満足気にそう言うと冷蔵庫の野菜ジュースを一気に飲み干した。

「駐車場の便利さはぜんぜん東プリのほうが上ですよ」僕は、贔屓にしているせいか剥きになって反論した。 


 Y氏とともに「七面草」で簡単な食事をしながら、窓の向こうの銀座8丁目を眺めている。クラブの女性の香水と、仕事帰りのサラリーマンの汗が妙なコントラストを作り、交差点では運転手付きのベンツやジャガーと会社へ向かう商用車が混乱の渋滞をつくり、僕は、スッポンのお粥を掬っている。富めるものと富まないもの。消費せざる得ない人と、浪費する人。この交差点はそんな落差の激しい時代の様子を垣間見る縮図でもある。


 安藤君と作っている新曲のタイトルが決まった。「質問」(クエッション)という漢字二文字。出会いを繰り返す男と女に、不意に訪れる「疑問」。恋なのか愛なのか、リスクなのかゲームなのか、こんな現状の迷いを徒然に書き下ろしてみた。


 昔読んだマルクスの中に、下部構造(経済)は上部構造(政治、芸術、文化、等)を規定するという説があった。恋愛は社会の上部構造に位置する典型的なイベントである。とするとこんな不況の時代は、男と女の関係もどんどん神経質なものを要求するようになってくるのではなかろうか。



2002.10.07

10月7日(月)リクルート時代の友人と久しぶりに銀座を歩いた。いつも手ぶらの新倉社長(日本計量器)のご招待で「七面草」に集合。

 坂本健さん(ぴあの常務)、藤原和博君(教育評論)、柏木君(リクルート常務)、らとゆっくり食事をした。胴元の新倉さんは、僕の憧れの人でもある。学習院時代からゴルフの腕前もシングルなら、銀座の酒も豪快、女性論、人生論も実践的で、こうなると当たり前ながら超弩級の人脈も豊富だ。少しべらんめぇ調の語り口は、何故か安心感があり、説得力もあり、軽快なテンポの話法の中に“少しだけ秘密”のスパイスがあるだけに息を抜けない。何時間聞いていても飽きない人物なのだ。最近の悩みは、入れ歯の接着の度合いだそうで愉快なエピソードを交えて話してくれた。


 並木通りを新倉さんと我々が歩く。グレーの良い生地のスーツのポケットに、手を軽く突っ込んで歩くいつものスタイルだ。気軽で身軽で、まるで銀座を流れる風のように歩く。この人の肩の辺りにはいつも自由と仁義の風が吹いている。馴染みのママさんや黒服さんが頭を下げる。リクルート組ものんびり新倉さんの後を付いていく。


 そう言えば、最近何処の町でも手ぶらで歩く男を見かけなくなった。少なくなったのではなく滅多に居ないのだ。ポーチといわれる皮製の小さなバッグを抱えた男、強化ビニール製の肩掛けカバンを持った男、多分パソコンに加え付属の関連キットを持ち歩いてるんだろうな。鰐皮か何かの高級そうなアタッシュ・ケースをわざわざ車から持ち出して秘書に持たせる男。女性が喜びそうなお決まりのブランド製の中途半端なサイズの・・・・。


 こんなにカバンを持ち歩くようになった男を見かけ始めたのは、いつからだろう。やはり90年前後のバブルの辺りからであろうか?手帳、財布、携帯電話、名刺入れ、タバコ、・・・・。これだけであれば無理すればスーツのポケットに入るはずだ。他に読みかけの本、電卓、彼女へのプレゼント?

 友人の男の社会現象評論家のOK氏は、
 
 「男が女っぽくなったんですよ。カバンとか、ポーチとか持ってると安心するから。何かの不安から逃れるためになんとなく持ってるんですよ」
 「最初はバブル紳士のファッションだったんでしょけど、その内主体性のない男たちがそれに憧れて真似をしてる内に定着したんですよ」

 「最近の若い男の人は化粧道具も持ち歩いてるらしいから・・・・。」

 「自信喪失の象徴よ。カードだけじゃ不安なのよ。」


 新倉さんは若いころアメリカで過ごした。なんでも随分な貧乏暮らしだったらしい。そういえば、アメリカ人も胸を張って手ぶらで歩く人が、多いような気がする。日本という国家も、“成金というブランド”の大きなバッグを持って以来、すっかり自信を無くしてしまったようだ



2002.10.02

10月2日(水)香港のリッツ・カールトンの窓から建国祭の花火が上がっている。視界をぼやかす霧雨の中で、不透明なアジアの未来を象徴する様に、今にも風に流されそうな花火が揺れている。

 日本のあらゆるイベントがあまりにも巨大化し、よってコストが掛かりすぎ、チケットが高価格化している。しかもそれぞれの企画はマンネリ化し、お客様の会場に運ぶ足が急速に鈍くなってきている。あのワールドカップの疲れが市場を冷やしているのか、単純に不況が財布を直撃したのか、見せるものの魅力が無いのか、それとも自宅でのメディアが多様化したのか、いずれにしても原因が複雑に絡み合って、当分の間“マーケットの集客の糸は絡んだままで解けそうに無い”。


 デフレ時代でも確実な利益を得るイベントを探しているうちにやはり僕の穂先はアジアの都市に向かった。香港は人口600万人。決してメガ市場ではないが、日本のキャラクター・ブームが起こり、少なくとも日本産という目新しさで集客できるという自身がある。しかもデパートの屋上でよく目にする家族みんなで楽しめるような低単価のイベントを長期間にわたり提供すれば必ずヒットするという確信がある。


 今回は11月の初旬から、S社のKキャラクターで、家族を対象にしたイベントをA社と組んで実施する予定である。これが成功するとアジア各国の都市で巡業させ年間ある程度の売り上げが見込める。考えてみれば、今年の初めからソウルを初めワールドカップで養ってきた“都市の感触”が漸く実を結ぶことにもなる。


 翌日早起きをして、香港島の裏手に当たる山の手の高級マンションが乱立するエリアに登る全長2キロほどのエスカレーターに乗ってみた。すぐに汗ばんでしまったシャツと、鳥を蒸すにおいと、時たま風に乗って運ばれてくるマンゴー・ジュースの香りが久しぶりの香港気分を高めてくれる。


 今にも壊れそうな古いビルと古着の洗濯物が干してある木造アパートの間を縫って作られた金持ちエリア行きのエスカレーター、その横には隣接して幅の不規則な石の階段が続き、好き勝手に自己主張をする看板が眼下に群れる商店街の迷路を一層複雑にしている。


「これだけの店がよくみんな食べていけるなぁ」この町に来るといつも感心する。

 華僑に学ばなければならないのは、人々の図太さと、経済の弾力性、奥行きの深さ、さらになにより無駄なプライドを持たないことでの中国商人のエネルギーの濃さであろう。


 以前この町で作った「香港フォギーナイト(香港霧物語)」の中に登場するミステリーな恋愛感覚とは程遠く、アジアに広がる不気味な不況の足音が僕のヒストリーな経済感覚を刺激している。