DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2009.11.29

第42号 亀田興樹君が世界チャンピオンに!

亀田興樹君が、世界ボクシング評議会(WBC)のフライ級チャンピオンになった。亀田3兄弟と、お父さんとのお付き合いは、かれこれ4年近くになる。

 サントリーの鳥居副社長や、ローソンの新浪社長にお世話になってトランクスに社名を入れてもらったり、「亀田弁当」君のお弁当を作ったり、とにかく”縁”が深い。

今回の試合でも、顧問先の商品。トランクス後部にマハロ・ウォーターが刺繍されている。こうなってくると、ゆっくり試合を見る余裕もなくなる。TVの露出が気になったり、翌日の高視聴率を願ったりと、気分は複雑。

僕が、亀田3兄弟を応援するのは、実は彼らの余りある商品価値や、世間受けする派手さではない。お父さんが好きなのだ。いろいろとやかく言う人もいるが、この家庭関係が希薄な日本において、こんなに迷わず””強く”父の愛情や責任”を実践している人は、数少ない。

 3度の飯を自分で作り、健康管理に目を光らせ、子供を無責任な社会の風から守り、何といっても”自分の価値観をきっちり植え込む”父親は、何処に何人居るだろうか?

 ちなみに、実力は互角。戦術戦略面をきっちりリングで発揮できた、亀田くんの、余裕が勝敗を決した。そしてその背景に、苦しい練習に耐えた亀田君の”父へのプライドと尊敬”が、あった。





2009.11.28

第41号 JAJラウンジの誇り「美楽」「水の美楽」

日本航空ラウンジに月刊美楽を置いていただいて3年になる。その間、一体何十万人何百万人の読者と触れ合い、本を手にとって頂いたのかと思うと、頭が下がる思いだ。

 そのJALさんが、経営的にも非常に厳しい状況に置かれ、又美楽の執筆者でもある前原大臣がその対処に追われて苦慮されているのも、何かの”縁”なのかな。

 九州に帰る早朝のラウンジにで、自分の作っている本を、眺めながら
「人生は、知らずと、知らされずと、見えない縁に、結ばれて行く」
この本も、”ヒトと事業の交差点”みたいだな。

 ちなみに、九州版美楽を鹿児島空港で、手に取るかもしれない。





2009.11.20

第40号  小松小旅行

 小松空港からすぐの片山津ゴルフ倶楽部は日本海の風重たくまるでリンクスのようだ。

よく、関係性を表す単語で「・・・・と・・・はリンクしている」と言うが、海(大西洋)と、海岸線をつなぐ、海原をリンクスと言うらしい。
従って、全英オープンが開催される、幾多のコースは、砂山が固まったような瘤(コブ)上のフェアーウェイと、ヒースといわれる葦の草原と、抉られたようなバンカーで、しかも白球は風任せ。
 設計者は、そう・・・・潮風と海岸で遊ぶ自然なのだ。

 白山コースはやっかいなプロ向き。まるで、羊飼いが出てきて、枯れ草を固めて、プレーを始めそうだ。モグラの穴もあるかな?

 暗い日本海の向こうに、僅かながら夕陽がその額を出している。18番ホールが、光っている。
「ゴルフとは、自然を味方につけるたほうが勝ち!」

 僕たちは、自力でプレーしているようだが、実は人生も運命という見えない風に吹かれているに違いない。
 






2009.11.18

第39号 月刊「美楽」12月号

『風化』
 枯れた薄が視野の限りに拡がって、まるで海をベージュ色に染めたみたい。
 こんな日にも、やわらかい日差しを含んだ南からの風がサワサワサワと流れている。“ススキの海”はやがて満ち潮に変わり、僕たちはその中に潜りこんで、かくれんぼをしていた。

 子どもたちが季節を感じることは、時の流れを学ぶことであり、“秋の海”は良い教材になっていた。





2009.11.16

第38号 夕焼け寸話

夕焼け空が久々に、東京の空を覆った。夕焼けは、明日に続く夢の種。
今日一日の、最後のエネルギーが、一瞬にして発散され、放射し、やがて
みんなに、惜しまれながら、暮れていく。だから切ないし儚いし、吹っ切れれば元気である。

それにしても、今夕の夕焼けの色は、なんと複雑で単純なんだろう。雲の奥に控える太陽の紫と、黄金色の風が、澄んだ午後の空の青を置き去りにして、現実と夢遊している。
 
 




2009.11.10

第37号 スペースデザインの折鶴

 スペース・デザインの来年の広告を制作中。リーマン・ショック以来すっかり欧米人は日本から退去(・・・・した振りかもしれないが)。高級賃貸マンションは、中国人とインド人さまのみが、以前主たるお客様。本来は、1945年の戦後から”こうでなければ、ならなかったのだが、やっと日本の美徳をモチーフに、広告が展開できる喜びで一杯です。「折鶴」は、手先の器用な日本人が、心をこめて作り上げるサービスの象徴である。

 僕たちの日本は、地球地図の中で、奇妙で微妙な位置にあり、しかも交通手段の不便な時代は、独自の経済と文化と政治と、人格を形成してきた。資本主義なる経済の世界的成長は、やがて、アジア大陸に触手を伸ばし、その過程で、日本は、明治維新なる市場開放を迫られる。その後は、ご存知の通り、数回の戦争に直接参加し誰かの計算通り敗北し、人数以外のありとあらゆる精神的なる物も失いつつある。


 間接的には現在も戦争に参加し、60年前の敗北の、代わりに得た保険金の支払い現金が、今まさに無くなり、生活に困窮の様相が見え隠れし始めた。

「折り鶴」を見ていると、日本人の才能が”悪くない”事に、励まされる。