DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.05.24

5月24日(金)WC直前、日韓共にお祭り前夜

今世紀最初で最後と言うマスコミがいる、アジアの夜明けと言う人がいる、日本初戦敗退と冷淡な評論家がいる。阪神戦の成績が一番と言う人がいる。東京で試合が行われないせいか開催地の方が熱い。新聞やTVは、お祭り前夜の緊迫感と大衆を煽るのに必死の形相になってきた。FIFAの不手際でチケットの到着が遅れ、お客さまようにVIP席を買い込んだ僕は、やや放心状態。イタリア人の仕事は時間が大雑把だ。
東京プリンスを根城にしている日本代表がいよいよ明日の7時、最後の調整のためスウェーデン代表と戦う。そのころ窓の向こうの東京タワーは日本代表のチームカラーの青に輝く。




2002.05.15

5月15日(水)UA881便の機内の丸い窓の向こうに夕焼けの朱が溶け出したように雲の海が拡がっている。

まるで大陸がその下にあるとは思えないほどの量感、悲しくなるほど切ない朱色だ。ソウルの仁川空港が近づくにつれて、何だかセンチメンタルな気分になるのは、多分韓国を何回か訪れて、この国の人や文化を知れば知るほど自分の薄学が身に抓まされて来るからに違いない。
2階席のキムさんに挨拶をし、チョー社長の車に乗り込んだ。さっきの夕焼けの下はおそらく何重もの厚い雨雲だったのだろうか。ソウルでは初めて経験する土砂降りの雨。その為、空港から市内までいつもの倍の時間を要した。チョー社長は僕に気を使って桑田啓佑の「ホワイトラブ」をかけてくれている。睡眠不足のせいか車のエンジン音と雨音とがサザン・サウンドに上手くミックスして僕は、「ゼックス東京」から見下ろす東京の夜景の夢を見ていた。



2002.05.12

5月12日(日)久能カントリーは五月晴れ。駐車場のツツジが眩しいくらいにすがすがしい空気だ

携帯電話がなってキム・ユンジンさんと夕食をする事になった。東京湾に船でも出して夜景を楽しんでもらおうと思ったが、ゴルフのスタートが迫っているので急いで玄関に飛び込んだ。このコースは「一家さんの誕生日コンペ」で30台でまわり、昼食に日本酒を飲んだら後半ハーフは50台を乱打してしまった因縁のコース。全体的にフェアウェイが狭くて距離が短かく、グリーンの周りの罠がある。3番アイアンで220ヤード、5番アイアンで190ヤードの繰り返しが一番の攻略法だ。館ひろしさんと、福崎さんの一騎打ちになって漁夫の利を得たいと思っていたが、利は久しぶりに一家さんに採られてしまい、僕は撒餌の役になってしまった。
愛宕ヒルズのゼックス東京のフレンチを摘みながら、エリック・クラプトンの「ワンダフル・ナイト」を聞いている。社長とマネージャーがワインを美味しそうに飲んでいる。これでソウルのお返しが出来た。・・・・・・キムさんが、横で「例の歌がまた流れてるわね・・・・」微笑みながらそう言った。



2002.05.09

5月9日(木)新宿ヒルトンの窓の下にボランティアをしている新宿西口公園の闇が拡がっている。

ホームレスの連中は今ごろ何の夢を見ているのだろう。キム・ユンジンさんと日本のコンテンツ業界の話や、お互いの生い立ちの話、彼女と僕のの人生論など意見交換している。藤原紀香さんとカネボウのCMが進み、ワールドカップの日韓親善大使としての活動も忙しくなり、あれやこれやで今後大きな彼女は飛躍をしていくことだろう。それにしても英会話をもっと勉強しなきゃ、ニューヨーク育ちの彼女に表現したい事が山ほどあるのに、微妙なニュアンスの半分も表現出来ない。帰り際に彼女ともう一度ゆっくり議論をする機会も持った上で、韓国のコンテンツビジネスのビジョンを企画化する事になった。
ワールドカップに関しては、賛否両論あるものの今世紀最大のイベントがいきなりアジアで開催されて、正直なところ政治からマスコミまでどう対応していいか解からない無い状況。あらゆる関連マーケットも様子見を決め込んでいる。僕の経験では、こんなストレスを溜め込んだイベントは始まった瞬間手の付けようも無いほど大爆発するものだ。まるで堪えていた恋の炎が祭りの夜に凄い温度で燃え始めるように。
何年かしてアジアの交流がもっとスムーズになった頃、ひょっとしてこのイベントがきっかけになったと総括する日がくるに違いない。このところ数回ソウルに足を運んだが確かに日韓はいい関係になってきている。
そういう意味でWCは、何年か後の僕にとっても思いで深い行事なるだろう。