DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2009.05.24

第17号 鹿児島県垂水市の朝

 垂水の朝市に間に合った。朝一番6時の飛行機で、鹿児島に飛び、お墓のある垂水の「道の駅」に立ち寄った。自分のルーツに関して、あまりにも無知で、焼酎と水とみかんの名産地であることしか知らない。

 今回は、生産農家に顔を出し、何故水が、日本的に評価されて、誰が全体のブランドをコントロールしているのか?程度の勉強はしてみたいと思った。


 桜島の裏側にある「道の駅・垂水」は、桜島溶岩の植木鉢やら、養殖のはまちの生簀やら、”足湯”やら、名産特産のオンパレード。中でも、朝取れたばかりの枇杷が、たくさんの小箱の中で金色に輝いていたのが印象的。

 紅芋のアイスクリームを、頬張りながら、湾の向こう岸の鹿児島市を遠く眺めていた。

 いつものように母に電話する。
「今鹿児島なんだ」
「あそう、帰ってきたの」

 何が起こるかわからない、日々の貧そうなスケジュールのなかで、事前に帰郷を伝えて、両親を待たせるのも、申し訳ない・・・・・ので、いつも垂水のあたりから、実家に電話している。

 母も慣れたもので、私に何しに帰ってきたのかは、聞いたことが無い。





2009.05.22

第16号 後楽園(有楽町)の焼きそば

 後楽園の焼きそばは、ふいに食べたくなる。昔からあるラード風味で、大きな鉄板焼きでまとめて炒めてある。並盛りが360円、大盛りが450円。オプションに目玉焼きをもらい、丼に入れてある葱を、振掛けのように盛る。焼きそばが見えなくなるくらいに、葱を盛る。サイドオーダーにスープを頼み、その中にも葱を振掛ける。食べる前に、闘争心とスタミナが必要。明日の口臭など気にしていられない。
 最近、今日の仕事と、明日の仕事の境目が、引けない事業が増えている。

 今夜も、再び葱を食らう。

*有楽町・後楽園は24時間営業である。






2009.05.20

第15号 安藤勇寿先生とは夕焼け仲間

 安藤勇寿先生とは夕焼け仲間である。7年ほど前、テレビで紹介された安藤先生の美術館の「夕焼けの少年」の絵に惚れ込んだ僕は、すぐに、栃木県佐野市に住む先生を訪ねた。

 それから数年後・・・・よほどの縁があったのだろうか・・・・発行する「美楽」の表紙に、その素晴らしい絵を提供していただいている。

 「僕は、頭の中にある情景を、クレヨンで表現するのです」
栃木訛りの、素朴な先生の話を、穏やかな気持ちで聞いてしまう。

力が抜けているから自然。何かを主張したり、誰かを説得したり、自分を押し出す必要の無い世界の母国語なのである。

 この日は、3周年を迎える「美楽」の打ち合わせと、個展の開催に関する
話で、久し振りに美術館の作品を拝見した。

 表に出ると、雑木林を抜けてくる酸素濃度の濃い風と、初夏の日差しがふわりふわりと遊んでいた。

 僕は、ほっと一息、ため息をついて、
「ゆっくり泊まって、いきたいですよ」と、
 腕の時計を見ていた。

 




2009.05.05

第14号 リクルートの同級生の徳永プロ(ゴルフ)

 徳永雅弘君は、いつも笑顔の勝負男だ。が、そんな風に見えないところに
強み有り。
 ゴルフのシニア・プロと言うのは、誰かお抱えスポンサーがいて、本業は、練習場のレッスンプロだったり、企業と顧問契約を結んでいるケースが多い。しかし、徳永君は、本当のサラリーマンだった。9時から夜遅くまで、会社に勤めながら”腕を磨いた”生粋の会社員選手なのだ。これは、どんなスポーツでも、奇跡に近い事。
 数年前は、全米シニアという名門のトーナメントにまで、出場を果たした。

 小柄で、飄々と、球を打つ。飛距離は、ゆうに280ヤード。変わったことにヤーデージ(グリーンまでの距離標)は、使わない。日焼けした顔で、感覚的に、情熱的に、動物的に、ゴルフする。

 最近、お互いに高齢化してきたせいもあり、会うたびに、体のあちこちが痛い、目が薄い、筋肉が・・・などと笑いながらのゴルフ談義。

 僕は、徳永君のスコアより、坦坦とした思い切りのいい生き方に、ある憧れがある。

 つまり、ミスショットは、決して、後悔してはならないのが、ゴルフ、人生もきっとそうなのである。