DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.07.28

7月28日(月)新国立劇場でオペラ「ノルマ」を鑑賞。E氏にたくさんの友人を招待していただき、皆さんそろってご機嫌ご満悦。僕も鼻が高い(写真参照)。


 新国立に来ると決まって館内を1時間ほど散歩する。まず入り口の小物売り場で、Tシャツや人形、キーホルダーなどを手に取りながら必ずお買い物。その後、まだ木の香りが残る館内のレストランで、ミルク・ティーをゆっくりと飲みながらプログラムをフムフム。館内が禁煙のため、屋外の水のオブジェが見えるバルコニーで一服。そうこうするうちに、開幕までの時間を楽しんでいる。


 オペラを観劇に来るといつも決まって、1994年のワールドカップの決勝戦の前夜祭で催されたあの「3大テノール・・・ドミンゴ、パパロッティ、カレーラス」の興奮と失態を思い出す。
 ロスのサンセット・ヒルズのホテルから、昼ごはんも食べずに、大渋滞の車の列に苛々しながらコンサートの行われるドジャース・スタジアムに向かっていた。
「これは大変、世紀のコンサートの開演に間に合わないかもしれない」


 会場ではオペラ・クラシックでは世界的に有名なプロデューサーの寺島さんや、キョドー横浜の藤村社長がやっとたどり着いた僕を笑顔で迎えてくれた。
 僕は何故かVIPの扱いと聞いていたので、エスコートの方に、何万人もの観客の中でもなるべく目立つように、バナナ色のスーツに身を包み、手にはチキンの唐揚げと、コーラを抱えていた。


 50メートルはあろうかというステージ、そしてその横にはシチリア半島の陽光を思わせる椰子がセットされ、驚いたことにその上から滝が流れていた。
「こんなセットは、見たことないなぁ・・・・絶対日本の興行でも人気を呼ぶだろうなぁ」


 帰国してから半年ほど過ぎた頃、そのライブを収めたビデオが発売された。当時の感激を思い出そうと早速購入して腰を抜かした。オープニングのシーンにバナナ色の下品なオトコが写っている。しかもアメリカ国歌が流れている神聖な場面でチキンを食べてる。
 
 それ以来、コンサートでは飲食物を買わないことにしている。







2003.07.16

7月16日(水)サンマーク出版の青木さんとこの秋発売の書籍の打ち合わせ(写真参照)。

 このホーム・ページの「夕焼け小学校校訓」のページをコピーして持ち歩いてくれている方々がそこそこいると言う話に勇気づけられて、それならば、恥ずかしながら思い切って簡単な書籍にしようと思っている。


 3年ほど前にも、友人の世話になって父の本をプロデュースした。肝付高夫というペンネームでエッセイをまとめた「それぞれの物差し」というその本は、思いのほかたくさんの読者の方から高い評価を頂いた。
 しかし、父の本音はやはり文学作品を出来るだけたくさんの方に読んで頂く事であり、小説家としての社会的評価を期待しているのであろうが。


 さて最近の本屋さんの店頭は、人生や恋愛や食事、旅行のノウハウ本のオンパレード、それにタレント本、エッセイとまるで数分で読み飛ばす雑誌の企画ページのような書籍ばかりが目立つ。“活字離れ”の時代と言われはや30年。


 この国の人材や文化やモラールの底辺を造ってきた書籍は、今や完全にテレビとゲームという新種の雑草に敗北を喫した。さらに、悪いことにこの強力な映像とアミューズメントの群れは、“インドアー・娯楽”として人間の運動能力を劣化させ、特にそれは無防備で影響を受けやすい子供たちのライフスタイルまで変えてしまった感がある。


 ・・・・・となると、話は戻るが、やはり救いはノウハウ本と質の高い映像を最後の砦にして、しばし防御を固めるしかないのだろうか?




2003.07.14

7月14日(月)夜の10時過ぎ試合を終えたばかりの本田君から丁寧な電話を頂いた。やはりボクシングは後楽園ホールが一番だ。選手の殺気が見るものさえも打ちのめす(写真参照)。

 さっきまでリングで血だらけになった若い挑戦者を、咆えながら、追いながら、打ちのめそうとしていた選手とは、とても思えないクールな声で、

「今日は、本当にみっともない試合をお見せしました。本田です」
「ちょっと手を焼いていたねぇ、1R(ラウンド)の左フックで、相手はかなりよろよろだったけどね。終わってみるとタフないい選手だったよね」
「そうじゃないんです。ああいう選手は、最初はもろくても、ラウンドが過ぎて後半になるとかえって、パンチ慣れしちゃって、だんだん元気になってくるんです。」
「解かってるじゃないか・・・・。やっぱり自分の技術に酔ってるんじゃないの?」
「すみません・・・・・まだまだ課題が多くて・・・・・」


 本田君と最初に会ってから、そろそろ2年が過ぎようとしている。大阪に住む山口君から唐突に電話があって、凄い選手がいる・・・世界のベルトは間違いなし。前哨戦を一度試合を見にきてほしい・・・という話なので、急遽僕は大阪体育館にむかった。蒸し暑い夏だった。


 グリーン・津田ジムは、あのエディ・タウンゼントという名トレーナーを擁し井岡直樹という軽量級の世界チャンプを育てたことで有名だ。本田君はWBC世界ジュニア・フライ級3位という、実力者にもかかわらず関東ではまだまだ知名度が低い。この業界は、どちらかというとTVのキー局が東京に多いこともあって、東京のジムに通うボクサーの方が日が当たりやすいのが現状だ。


 辰吉丈一郎くんも、大阪帝拳ジム(これは、言ってみれば帝拳ジムの大阪支社)だったが、その華やかなスター性もあって最初は日本テレビで名前を売った。


 本田君の技術やスピードはまさしく世界のレベルだ。そして頭の良さや、品の善さ、知性もボクサーとは思えないほど・・・・。この選手が、日本のボクシング業界を変える気がしてならない。それなのに、後楽園ホールのポスト(リング・ロープを縛る要の支柱)には、スポンサーの名前すら見当たらない。


 僕はこんな隠れた日陰の花が大好きだ。久しぶりにやる気になってプロデュースする逸材を見つけた夜だった。






2003.07.09

7月9日(水)このところ梅雨の影響で、過ごしやすい気温が続いている。5月の下旬からオープンしているホテルのプールも閑散としている(写真参照)。

 デパートがこんな時期から、夏物のバーゲンを始めている。気の早い店では早くも秋物のスーツを扱い始めた。(まだ、梅雨も明けていないのに・・・・?)きっと、この秋は大変な不況になる。夏に売れるはずの商品が片っ端から在庫になるだろう。水が売れない。クーラーが売れない。冷蔵庫もだめだろう。きっとサザンもチューブも昨年ほどはヒットしない。おまけに冷夏の煽りを受けて米が取れない。野菜も高騰するだろうし、果物もだめ。せいぜい、計算違いに売り上げるのは、夏風邪にかかった人の咳止めぐらいだろう。
 売れない?・・・・というより、ここのところの給料では買えない、というのが消費者の本音だろう。


 午前5時半、増上寺の鐘が一日の始まりを教えてくれる。芝公園の辺りから明るくなり始めた東京湾の空に向かって、うろこ雲の流れに合わせるようにゴオォォォンと拡がっていく。このところ、自分の力だけではどうにもならない案件が多い。市場の影響、仲介人の能力、商品のあたりはずれ、広告の説得力、お客様の懐・・・・。1000円売り上げるのに、5年前の10倍の努力が必要だ。


 早起きをした朝は、増上寺の正門から本堂に続く階段で、柔軟体操をした後、500円玉をお賽銭箱に入れて“お願い事”をする。お願い事をしながら、1週間の仕事の優先順位を決めながら、スケジュールをイメージし整理する。すると、不思議なことに希望レベルの仕事と、実現可能レベルの仕事が明確になる。カレンダーに色をつけるように無駄な時間と、有効な時間が少しずつ見えてくる。永続的、連続的な仕事、単発的な“その場限りの”仕事、そんなことも判断できる。


 決して離してはならない人材や、多分この秋には僕の目の前にはいない人たちのことも・・・・。


 今日の午前中には、新しいコンピューターが届く。五感を潰さないようにバランスを失わない様に、この機械にも馴染んでいきたい。


 駐車場から、今日始めてのお客様がロビーに向かうのを見ている。おや?やはり秋物のセーターをもう着ている。