DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.07.14

7月14日(月)夜の10時過ぎ試合を終えたばかりの本田君から丁寧な電話を頂いた。やはりボクシングは後楽園ホールが一番だ。選手の殺気が見るものさえも打ちのめす(写真参照)。

 さっきまでリングで血だらけになった若い挑戦者を、咆えながら、追いながら、打ちのめそうとしていた選手とは、とても思えないクールな声で、

「今日は、本当にみっともない試合をお見せしました。本田です」
「ちょっと手を焼いていたねぇ、1R(ラウンド)の左フックで、相手はかなりよろよろだったけどね。終わってみるとタフないい選手だったよね」
「そうじゃないんです。ああいう選手は、最初はもろくても、ラウンドが過ぎて後半になるとかえって、パンチ慣れしちゃって、だんだん元気になってくるんです。」
「解かってるじゃないか・・・・。やっぱり自分の技術に酔ってるんじゃないの?」
「すみません・・・・・まだまだ課題が多くて・・・・・」


 本田君と最初に会ってから、そろそろ2年が過ぎようとしている。大阪に住む山口君から唐突に電話があって、凄い選手がいる・・・世界のベルトは間違いなし。前哨戦を一度試合を見にきてほしい・・・という話なので、急遽僕は大阪体育館にむかった。蒸し暑い夏だった。


 グリーン・津田ジムは、あのエディ・タウンゼントという名トレーナーを擁し井岡直樹という軽量級の世界チャンプを育てたことで有名だ。本田君はWBC世界ジュニア・フライ級3位という、実力者にもかかわらず関東ではまだまだ知名度が低い。この業界は、どちらかというとTVのキー局が東京に多いこともあって、東京のジムに通うボクサーの方が日が当たりやすいのが現状だ。


 辰吉丈一郎くんも、大阪帝拳ジム(これは、言ってみれば帝拳ジムの大阪支社)だったが、その華やかなスター性もあって最初は日本テレビで名前を売った。


 本田君の技術やスピードはまさしく世界のレベルだ。そして頭の良さや、品の善さ、知性もボクサーとは思えないほど・・・・。この選手が、日本のボクシング業界を変える気がしてならない。それなのに、後楽園ホールのポスト(リング・ロープを縛る要の支柱)には、スポンサーの名前すら見当たらない。


 僕はこんな隠れた日陰の花が大好きだ。久しぶりにやる気になってプロデュースする逸材を見つけた夜だった。