DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2007.12.21

第21号 「美楽」特別取材で東京慈恵会医科大学附属病院特任教授の村山雄一氏

 東京慈恵会医科大学附属病院特任教授の村山雄一氏は、お目にかかる前に考えていた通りのスマートな学者。
こんな先生に生死に悩む患者さんたちが身を任せたとすると、まるで潮に身を任せる痛んだ”椰子の実のような浮遊感と安堵感”がその胸に訪れることだろう。
 お話の一つ一つは、数々の研究と、その成果が確固たる柱となって説得力に満ちている。


 今年も数々の痛ましい医療トラブルが、ある時は人為的に、またある時は偶発的に起こってしまった。日本中に1万を超える病院があり、そこにたくさんの医師がいる。医師たちもまた、白衣を脱ぐと生身の人間である。感情もあれば肉体もあり、満足もあれば不満もあり、そして誰にも理解してもらえない疲労もあるであろう。
 村山氏は、そんな中にあってまるで樫の木のように強固な意志と、我々のような素人の取材スタッフに対して柳のような柔軟性で諭すように”体を走る血液”について話をしてくださった。


 「組織は人なり」というが、日本の医療社会にこんな先生が少しでも生まれ育ち、そして影響力を持ってくれればいいな・・・・・・。


 詳しくは、1月20日発売号、月刊「美楽」をご覧ください。
※取材をセットしてくれた慈恵医大の広報室、高橋誠氏にこの場を借りて心から感謝。




2007.12.20

第20号 フイリップ・トルシエ監督が”沖縄”を磨く!

トルシエ監督が、FC琉球のテクニカル・アドバイザーに就任するというニュースに、マスコミや日本中のサッカー・ファンはもちろん、スポーツ界全体が騒然としている。今日は、昨日の沖縄の記者会見に続き、東京の記者会見。控え室のトルシエ監督は、生真面目そうに原稿を読み、気さくに写真に応じ、”にこり”とスタッフに微笑んでいる。

 沖縄は、ゴルフ、野球、武道、ボクシング、そしてサッカーに至るまで運動能力が秀でる子供たちの名産地である。春夏秋冬、一年中スポーツが出来る環境はもちろん、本土の人間と比較しても骨太で頑強、しかも精神的にタフな選手が多いように思う。
 ・・・・・欠けているものは・・・・・きっと競争心・・・・・

 この日の午後、その島に”負けることを、恥じる、そして許さない”サッカーの先生が赴任した。彼の一見モダニズムにも見える振る舞いの中に、皆さんもあの2002年仙台のトルコ戦の後に見せたトルシエの落胆を忘れられない人も多いだろう。

 沖縄は”磨かれる”しかも、春を待たないで!今日から!




2007.12.18

第19号 婁正綱書画家の作品

 婁正綱氏の展示会が「上野の森美術館」で開催中!
”静寂の中の狂気と騒然たる創造の整備”の結果、こんな作品が生まれるのか。筆の瞬間的なタッチの集積が、その結果として空間を占有し、見るものの雑念を払拭する・・・・・・

 息をゆっくり吸って、小鳩の産毛を揺らすようにかすかにかすかに吐き出していく。

 墨が粘土のように、立体化して動き出し、僕の心の中に”漢の字”奥深い意味と歴史が刻まれていく。




2007.12.12

第18号 さよなら、ベンツV320(緑色)

 9万キロも走った車を、ついに手放すことになった。
こんな原油高の時代に3台も車を所有するのは、大げさだが地球人として不謹慎だし、最近では車をどこに置いたかも思い出すのもめんどくさくなった。

 ディーラーの人が、車を取りに来て、極めて簡単に売買契約書をかわし、車検証をチェックすると、
「これで終了です。車を持ち帰ります。」・・・・・・
と言われ、急にこの車にまつわる数々の思い出が、”涙とともに胸いっぱい!”に込み上げた。

 古い靴を捨てたり、携帯電話を新しい形に変えたり、使い慣らしたダイアリーを机の奥深くにしまったりするのと違い、長い間愛用した車を手放すのは心が痛むものである。それはきっと、車にまつわる思い出や、過ごした時間、窓越しに見た風景、聴きなれたカーCD、また車のトラブルなどの思い出がいくつも折り重なっているから、というだけでなく、きっといつの間にか僕の手足の延長線上に、つまり肉体の一部になっているからに他ならない。




2007.12.10

第17号 月刊『美楽』新年号・発売日

 月刊『美楽』の新年号が発売された。
東京と京都のMKタクシーに置いていただくだけでなく、この号から首都圏の書店で発売されることとなっている。
創刊号から7本目でようやく流通網が完備してきたよう思える。

 この表紙から、『美楽』という題字も縦から横に配列を変えた。”楽”という字が書店棚や、タクシーのポケットから見えなくならないように、婁正綱氏が自らレイアウトに手を加えた。
残念ながら、本は少し薄くなってしまったが、これも印刷部数が増大したことを思うとやむを得ない。




2007.12.07

第16号 リクルートの後輩たちとランチミーティング

 江副育英会の山形さん、スタイル・インデックスの金子さん、慈恵医大の高橋さん、ライツの川口さんと次々に”鍋焼きうどん”を食べに集まった。

 いまやリクルートのOBたちはマスコミの誌面を飾り、それぞれがリクルートを離れてから活躍し、成功していると言われているが、実はこんな感じで和気藹々と話す機会が多いのがこの会社の特徴でもある。

 僕はリクルートの人材は、優秀だというよりも、個性的でプラス思考でスピードが速い。そして決断と行動の間がないことが特徴だと考えている。つまり”恐れを知らないキャラ”の集団が、がんがんトライ&エラーを繰り返している図式である。


 来年から日本は長い、暗い、狭い、低成長という名のトンネルに潜り込む。独立した後輩たちの成功が続くことを注目したい。





2007.12.06

第15号 自民党の星・西村やすとし先生とニコライ・ワルーエフ(WBA世界ヘビー級チャンピオン)

 例年のことながら、12月に入ると忘年会とイベントとパーティが月に50回以上は出現する。僕は、忘年会は結婚式の次に嫌いである。従って、ほんの少しパーティに顔を出し、1年間の御礼をした後、これまたほんの少しイベントの一番楽しみな部分にだけ顔を出すことにしている。

 この夜は、webサイトをプロデュースしている西村やすとしさんの勉強会にほんの少し顔を出し、ジャクラの平間社長をご紹介した。
全国で1300校を数える自動車学校にメディアを持つジャクラは、自動車学校で学ぶ若い学生さんの意識を変える可能性があると感じている。


 その後、水道橋にある後楽園ホールで日本ウェルター級タイトルマットに顔を出した。10年前に一緒にお寿司を食べたニコライ・ワルーエフが遊びに来るということで旧交を温めるためだ。やはり、ニコライは大きかったのだがさすがに身長は伸びていないようであった。


 会いたい人に会えるのは、人生でもっとも楽しい。





2007.12.03

第14号 東京プリンス「清水」の鍋焼きうどん

 日本の「食」が狂っていると、連日のようにマスコミが取り上げている。しかし、皆さんも私と同じようにきっとこう感じている。
「そんなの昔からあったんじゃない・・・・・」


 この一年、食べ物をうまいか、まずいかという尺度で食べたことがない。
というのは、治療中のインプラントとインプラントの間の歯が、48時間周期で”ぐらぐら”し、砂丘にたった古い電信柱のような状態なのだ。
お客さんの好みで接待中、歯と歯茎の間から、焼肉のたれが入り込んだ。一瞬、全身に電気が走りつま先が痙攣した。僕は、じっと堪えていたが、やはり洗面所で涙を流した。

 冬になって、ゴルフをしていると今度はこの隙間に北風が入り込んで、アプローチをトップした。


 この一週間、なんと4日間連続で昼ご飯は東京プリンス「清水」の鍋焼きうどんにしている。このうどんなら噛めるし、飲める。何故か汁が歯の隙間に入ってもそんなには痛くない。

 僕にとっての”食の安全”の基準は、安心して”飲めるか””噛めるか”がポイントなのである。