DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2011.02.18

第8号 Gacktの眠狂四朗I

 Gacktの眠狂四朗をプロデューサーのSから招待された。
 日本中のイベントが集客不振。プロ野球から、サッカー、相撲は無論のこと、歌舞伎・・・ごく僅かの若者お祭り騒ぎ系のコンテンツと、普段お目にかかれないビックスター物意外は、全てのイベントが、空席だらけである。

根本的には、テレビの画面の大型化で”生以上の迫力”が体感できるようになったことと、大勢の人間の集まる場所にそろそろ嫌気が差してきたのではなかろうか?

 一方せいぜい1000人までの会場で演劇を楽しむなどは、昨今流行りだしていて、早乙女太一君の舞台などは大盛況、後楽園ホールのボクシングも選手によってはチケットが、プレミアムになっている。

 東京国際フォーラムのGackt氏の舞台は、生ものの面白さが存分に発揮されていた。何より、シナリオが自由で、アドリブがその場その場の客をひきつける。

 そうなんだ・・・・今の日本にシナリオや、ストーリーが無いように、
「明日無き世界」をコンテンツが迎えているのかもしれない。




2011.02.17

第7号 向井亜紀さん座談会

 向井亜紀さんの、対談を収録した。
 考えてみれば、向井さんにはもう4年以上も月刊美楽にご執筆頂いている。原稿用紙にして400枚以上の”お付き合い”。・・・・近々書籍にして出版してみたい・・・。

 本日は、保険関連の会社の広告コンテンツ用の、座談会。彼女の知性と、品性と、強靭さは、最近のタレントさんには、滅多にお目にかかれない。
 インタビューの途中で、子宮がんを宣告されて・・・・、やがて代理出産の決心をした時の、彼女の心理に話が流れた。死を覚悟しての彼女の心境を聞いていると本当に女性は、強くて逞しいと、実感した。

「お前痛くないの?体中に管を通して、針を埋め込んで」(夫の高田氏)
「あなたこそ、毎日、殴られたり、蹴られたり・・」(向井さん)
「いやぁ、僕は、表面の痛みには強いけど、体の内側からくる痛みは耐えられないよ」

 確かに、世の男性は、痛みに弱いし、医者が苦手だ。僕も、多少の痛みなら我慢して、家で寝ている事の方が多い。女性は、出産の痛みに耐えられるように出来ているという話しも聞いた。月に一度の生理の時に、実質的に”死を迎える”とも聞いた。

 いずれにせよ、向井さんは、どんどん大人の素敵な女性に成長している。




2011.02.10

第6号 テーブルウェア・フェスティバル

 テーブルウェア・フェスティバル実行委員会(読売新聞社、株式会社東京ドーム)に顔を出した。普段は、野球か、コンサートに使用される人口芝のグランドは、”圧倒的な量の、テーブルと食器セット”の見本市に様変わり。

 福岡ドームのプロデュースをした時に、年間のドームの借り手を捜すのに苦労したのを思い出した。あの頃は、”日本中がドーム・ブーム”で、現在の札幌や、名古屋、オリックスなどのドームは出来ていなかった、

「年間のホークスの野球試合は、せいぜい60日、残りの300日の借り手を探さなかんぞ」
ダイエーグループの故中内会長が、静かに命を下さった。

「まずは、福岡ドームの”旗揚げ”をどうするかですね。相当派手にしないと、”貸し館営業が死んどくなります。」

 そんな、やり取りの後に、マイケル・ジャクソンやら、サイモンとガーファンクルや、マドンナやら続々と来福。
 1994年は福岡にとっても、歴史的な活気的な一年、ドーム元年になった。

 今や、日本中の各地に存在するドームは、植物の博覧会から、地元の小学生の野球まで、すっかり溶け込んだ施設になった。

 それにしても、昨今この空間(スケール)を生かしたイベントは、気に止まらないし目に付かない。一日に20万人位、集めるコンテンツは無いものだろうか?
 インターネットの影響で、”足を動かさない!”時代のマグネットは、無いものだろうか?

 スタンドから、小さな食器が壮大に並べられているのを見ながら、そろそろ20年近く経とうとしている福岡の事を思い出している。





写真2枚目は、エコをテーマにした「経済産業大臣賞 大賞」のテーブル・コーディネート。
タイトルは、”休”。






2011.02.06

第5号 ヤマト運輸のいい仕事、上手いパン

 銀座昭和通りを歩いていると、昔懐かしいパンの焼けるにおいがしている。スワンバーカリーの”うさぎパン”が、目に入った。
暖かい、うさぎパンは、この店のポリシーを象徴するかのように、丁寧な上品な艶が出ていた。

「これが、例の、スワンベーカリーか・・・・」
日本一、気持ちのいいパン屋さん。

何故か・・・・・・近々月刊美楽でも、ご紹介したい。
その理由は、

 ヤマト運輸の会長だった故小倉昌男氏は、障害者の給与が「平均1万円に満たない」ことや、それが「仕方ない」で済まされているのを知り、それまでの自らの経験と経営ノウハウを注ぎ込んで「身障者雇用事業の向上」を目指すヤマト福祉財団を設立した。

 同財団は経営の脆弱な福祉の事業所・作業所を対象にした実践的経営セミナーを開催するばかりでなく、ヤマト運輸とともに「アンデルセン」「リトルマーメード」の高木社長と組んで、障害者が就業できる焼きたてパン屋チェーン「スワンベーカリー」(株式会社スワン)を始めた。
 
 9月19日、埼玉地域ファンド研究会が主催するCSR基礎講座「CSRと社会的起業 スワンベーカリーの挑戦」がさいたま市の北浦和カルタスホールで開かれた。CSR(Corporate Social Responsibility)は、「企業の社会的責任」などと訳されている。

 今回は、スワンベーカリー北浦和店を経営している株式会社「千の風」代表取締役の飯塚哲朗氏の話を聞いて社会的起業とCSRを考えるものだ。

 飯塚氏は元埼玉県職員。スワンベーカリー北浦和店を始めたきっかけは、小倉昌男氏との出会いだったという。長年福祉関係行政に携わってきた同氏は、行政だからできることや障害者福祉の難しさを語り、自ら会社を起こして店を始めた経緯と仕事の困難さについて述べた。ここでいう「仕事の困難さ」とは、障害者とともに働くことではなく普通のパン屋として他のバン屋と競争して経営を成り立たせるための苦労のことである。

 障害者の雇用を促進する障害者雇用促進法では、一般の民間企業(常用労働者数56人以上規模の企業)の雇用率を1.8%としているが未達の企業も多く、特例子会社(障害者雇用の専用子会社)を設立して雇用率を達成している企業もある。

 「一般雇用」を達成する障害者自立支援法については、当事者の負担増や仕事の確保などについて問題が指摘されている。それにもまして、スワンベーカリー北浦和店のような小企業が「一般雇用」を成り立たせるためには、他の企業との競争の中で普通の企業として生き残っていかなくてはならない。

 ヤマト運輸の特例子会社である株式会社スワンは、障害者も働けるパン屋の仕組みをフランチャイズして、既存の企業や社会福祉法人などでの障害者の「一般雇用」を確保することを支援するばかりでなく、社会的起業によって障害者が「働く場」をつくることを支援している。

  障害者雇用促進法での雇用率や特例子会社をCSRと捉えている例もあるが、そこから更に、このように社会的起業を支援する形のCSR、つまり、「ともに歩むCSR」も存在する。