DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2005.05.23

月島もんじゃ

 




2005.05.22

第8号「大人の為の、大人による・・・・ジョージ・ウインストン2005:東京公演」

日本テレコムさんにスポンサーに成って頂き、ジョージ・ウインストンのコンサートをプロモートした。

大親友の日本テレコムの富村氏(元リクルート)から、”地味でも、質の高い、本物のいい音楽”を提供したいというオーダーもあり、真っ先に浮かんだ音楽家は、ウィンダムヒル・レーベルの時代から40年近くも根強い人気のあるジョージ・ウィンストン氏だ。・・・・・(彼なら、一流で、お客様が通であればあるほど、高い評価をいただける)
と言うわけで、渋谷のオーチャード・ホールは、一見しても判るような玄人音楽ファンで超満員。それにテレコムさんの招待客(VIP)が加わり、一層荘厳な空気を漂わせている。
ステージ上に、漆黒のグランド・ピアノが一台。装飾と言う装飾は一切無し。まるで、竜安寺の石庭を思わせる。このアーティストそのものが質素で簡素、“音とメロディー”以外のものは無駄なのである。

そもそも、“体を動かす音で構成された音楽舞台”に、支配されすぎたのが、日本の業界。
其処に近づく、”大人の音楽マーケット”を、本気で考えている人も少ない。
つまりこのコンサートは、近未来の音楽ファンに贈るテレコムさんと、僕の“音楽文化の実験ライブ”でもあるのだ。

テレコムさんの粋な計らいで、コンサート終了後に、簡単なパーティが開催された。
普段、この種のクライアント実施の場には、めったに顔を見せないジョージもTシャツ姿で参加。
10分前にコンサートを終えたばかりなのに、疲れも見せず満面の笑顔で写真撮影から、サインまで徹底して応じてくれた。

「Mr.ヒガシ、日本も音楽が解る人が増えてきたね。すごく気分がいいよ・・・」
楽屋に帰る通路で、細くて長い指で、永くて熱い握手を求められた。

音楽を愛する日本テレコムの倉重社長、富村副社長、松原部長、そしてキョードー東京さんに、感謝!感謝




2005.05.07

第7号「石和の駅」

友人のフェルドマンさんの別荘に招かれて、早朝の「あずさ7号」で石和温泉に向かった。

中央線は肉体で言うと、心臓に向かって深深と走る静脈のような路線。
神奈川、山梨、長野と徐々に列島の最深部に向かい潜るように山間を縫って走る。
車窓から“森の精”が入り込んできて、乗客を何処か神聖な気分にさせてくれる。

残雪を僅かに残した南アルプス連峰が見え始めた頃、葡萄や桃の果樹園が線路の左右に拡がり、小さな農家が散在するのが、なんとも心を和ませてくれる。

8号車には連休中にも関わらず、客が僕一人しか乗車してない。
孤独で、静寂であることが、最高のバケーションである。





2005.05.04

第6号「若者は“ヒーローを闘いに求めている”K1ミドル級戦」

人生の目的や生きていく意義がなかなか見つからない。
社会の仕掛けが複雑で、自分という存在が“解りにくい”時代なんだろう。
そこで、若者たちはヒーローを求める。
簡単に捜せるヒーローを。

自分をヒーローに擬えるために(なぞらえ)、さらに“なりきって”感情を移入するには、何といってもスポーツ選手、中でも格闘技の選手が一番である。

この日K1ミドル級に、集まった”ヒーロー探し”の観客は1万人。
今日は、四角いリングに、10000人の人生が燃焼するのだ。