DIARY:夕焼け少年漂流記

 

1999.12.31

大晦日、例年この辺りはスケジュールの調整が大変。



大晦日、例年この辺りはスケジュールの調整が大変。

◎安比へ

今年は大きな変化の年だった。判断の分かれ目がいくつかあった。その一つ一つが、人生の後半に幾らかは影響するだろう・・そんな気がするのも呑気な話だが25年ぶりぐらいかな?後になってみると"運命の分かれ道"の付け根であったには在ったのだろうが、岡田さんが常ずね言うように「おっとりしすぎよね」。若い頃はポイントもわからずに無意識のうちに過ぎていった。基本的には浮世離れも甚だしい、これは自らの性格の変革をして今年(1999年)限りにするよ・・宣誓。取り返しのつかないことは無いが、時間が無駄だから。
 ということで、今年のポイントは、



@ やはりリクルートを退社したこと。但し、92年の春のダイエー・プロジェクト以来精神的には徐々に離陸してきたので、転職ショックは無い。坂本健さんに感謝をしている。



A 神蔵君とガマG立。長年の親友と事業を始めるのは、もしものことを考えると友情と業績の天秤になりそうで躊躇したのだが、我が身の上昇とIT革命を視野に入れるとGOなのだろう。



B 母の病気と父の献身。正確には昨年から続いていたのだが、正直今年は覚悟をさせられた。一方あの小さな部屋で寝泊りを繰り返す父には、共に老いた夫婦の"やりきれない助け合い"と、やはり何処かで家の事はそっちのけで出歩いていた父が懐かしかった。



C 音楽から文学へ、僕のサブカルチャーが変わってきている。自分自身の年齢の変化もあるだろうが、文学界に身を置く人の安心感、厚味に、深さに体が流れていく。といってもそれほど音楽漬けになってた訳でもないのだが。ガマG学の接点も在るしな。



D 宣弘社の小林副社長、協栄ジムの金平会長、ネクサスの景山さんみんな積極的なネットワーカーだった。合掌・・・・・・・・


1999.12.30

今日も晴れ。神谷町の周辺もさすがに人が減ってきた。

今日も晴れ。神谷町の周辺もさすがに人が減ってきた。

 大井町の、イトーヨーカ堂は凄い賑わい。ビジネス街と商店街の違いを、まざまざと肌で感じている。芝のゴルフ場のレストランで、グレッグ・ノーマンのワインを仕込んで、城山ヒルズで忘年会。M君と3人、やはりこの人は素晴らしいと品田先生も直感のいいところで分析。鴨鍋、海老、でワインを5本。昼間の酒は良く回る。珍しく、僕も寝てしまった、それにひとさまのお家で風呂まで浴びて・・・。ギターを弾いて、今年の総決算。

 その後六本木で、JANDCの忘年会。ぎな君と、大森君、金山氏にタレント3人。清水さん、菊地さんが当面の商品価値。品田さんとの契約を前提に僕はこの会社と動いている。来年、4月から何とか契約を結びたい。昼間のワインが寝る前まで、残っている。◎安比へ




1999.12.29

年末のチケットの件でバタバタ。晴れ。

年末のチケットの件でバタバタ。晴れ。

年末の、ユーミンとラルクのコンサートチケットの余りの販売で本当に、いやになっている。手間がかかる割に、信用を失うし、儲からない。計画的に仕入、必要以上には受けない。これが、絶対のルール。誓う誓う。

 ローソン・チケットに挨拶。中山社長、岡田常務と神蔵、西澤、今村。坂本氏のセット。以前より、岡田氏とは、組みやすいと思った。少なくとも、"裏"が無いので、ストレスが溜まらない。関西弁で、歯切れ良く、頭脳明晰、回転速い、岡田氏。やるなぁ。しかし、このグループと何を共有し、どう組んで行くのか・・・。よーく、仕組みを検討したい。やはり坂本氏の力を借りて、取材をしてみたい。

 和気藹々の中で、ここでも色々な思惑が動いている。要は、来年の始めに持ち越された。

 9時、さだまさし氏と、ニュウ大谷の「カプリ」で打ち合わせ。Gの進行報告と、新しい企画の話。小林 幸子、都 はるみとのユニットでLPを作り、着信システムでの販売と、ローソンでの限定販売をやろうか?途中で、日高君が参席、これも来年に持ち越した。外堀通りの虎ノ門の信号のてまえに車をとめて、日高君と2時間も話をした。業界の話、裏の絡み・・・。師走の静けさが、街じゅうに"居直り"、時々パトカーの音が近くで聞こえる。不況で、犯罪、自殺、結局経済の破綻は庶民に負担を強いるのだろう。<



1999.12.28

本当に雨が降らない。体内乾燥注意報。

本当に雨が降らない。体内乾燥注意報。

 つらい。やはり、夕べの日本酒が頭を重くしている。憧れとしては酒で酩酊し、文学的に沈思している姿は良いのだが、僕の体やライフスタイルとは本質的に違う。たぶん青年時代の文学ミーハーの残党が伊集院氏のエッセイで、蘇ってたに違いない。すこし生活を立て直そう。



1999.12.27

朝から軽快。冷たい冷気が青空を透かしている。

朝から軽快。冷たい冷気が青空を透かしている。

 神蔵君は、まだ沖縄に滞在中。街は、年の瀬の仕事納めで大渋滞。夕方、「菊川」のうなぎ。その後、向井さんと中田君を連れて忘年会。赤坂の神社の境内にある「うさぎ」から鮨辰へ。"竹"という僕が命名した冷酒を八号、久しぶりの酔い。

その後今年初めての「キャロンドール」。ママもマスターも元気だ。マスターの気が完全にグレーになっていた。この商売はストレスが貯まるのかなぁ。それとも体質なのか?明日は、まず確実に二日酔いだろう。日本酒はとにかく体を重たくする。午前3時。ガG駐車場、といっても玄関口で仮眠。外気が冷たいので、クライスラーのヒーターをつけて、喉がからから。



1999.12.26

ブセナの入り江の朝。よく寝た。今年一番深く寝た。深呼吸をすると、海の香りが部屋中に入り込んでくる。晴れ。

ブセナの入り江の朝。よく寝た。今年一番深く寝た。深呼吸をすると、海の香りが部屋中に入り込んでくる。晴れ。

 高級リゾートなので、60?位の部屋に6畳位のバス・ルームがついて一泊5万円也。クラブメンバーのフロア-なのでサービスは行き届いているが、それにしても高い。夕べは、今年隋分銀座で奢って貰ったので鉄板焼きをご馳走した。

 朝の、レストランはどこも満員でやむなくクラブのラウンジで簡単なコンチネンタルを取った。出発の際、入り口にたくさんのマスコミ。サミットの下見をするために稲峰知事がホテルを訪れているところに丁度我々が出くはした。ドキッ。空港まで2時間位の所要時間を計算すると、10時にホテルを発たなくては。思ったより、早く新装の那覇空港に到着。飛行機の中の昼食が期待できないので4階のレストランでハンバーグ定食をたいらげた。この空港はなんだか馬鹿にひろい。窓の向こうに、青い海と白いリーフが静に波を立てている。ゴルフ・バッグをホテルに預けてきたのに、もうしばらくこの島に帰ってくる気がしない。鹿児島の母親のところにお見舞いに行ってあげなければ・・・。

いつもより強く感じた。



1999.12.25

海岸の制作室から今上がったばかりの朝日が眩しい。

海岸の制作室から今上がったばかりの朝日が眩しい。

 神蔵君と沖縄に癒しの旅に行くことになった。今年の8月もそんな話があったが、予定していた彼の相棒が行けなくなって今回に流れたのだ。海岸の制作室から朝日が差し込んでいる。雲が早く、頭の上を通り過ぎていく。飛行機が揺れなければいいが。8時過ぎの早朝便は、年末の休暇を南国で過ごす人たちで随分混んでいる。満席のスーパー・シートでゆっくり寝込んでしまった。沖縄に出向くと、いつも故郷の鹿児島の空の上をとばしてしまう身勝手に、やや胸が痛い。まして母親の具合が、良くないし父も看病に疲れてストレスがたまっているのに・・・。

 沖縄は、やはり暖かい。5度から10度くらい違うかな?近距離と、遠距離のタクシー乗り場でいつも迷うのだがリンケン・スタジオのある読谷(ヨミタン)は遠距離にあたるらしい。小型車は事故に遭ったときに悲惨なので大型車を選びたかったが又もや希望が叶わない。時間があるので、国際通りに立ち寄って、地理の確認をしてみたくなった。

三越前にタクシーを待たせ、牧志の公営市場を覗いてみた。年の瀬で活気がある。ハリセンボン、うつぼ、青ぐだい、名物のグルクン。一階の魚市場で魚を買い、二階の食堂で料理をしてもらえる。まるでシンガ・ポールのニュートン・サーカスと同じシステムだ。イセエビの大きなやつを味噌ラーメンに入れて食べている人がいた。

 リンケン君は、事業家としても優れているのか仕事が速い。良くこんな合間に作曲ができるなぁ。昔、ただのコンクリートの空間だった一階のスペースにハワイアン・レストランが誕生していた。しかもにぎわっている。昼食を取りながら1便遅れの神蔵君たちと合流。ブセナ・テラス・リゾートへ向かう。沖縄はたてにひょろりと長い島なのでうっかりすると、東京から静岡くらいの距離を走ってしまう。来年の6月のサミットの会場にも指定されたホテルだけあってちょっとした御伽噺の入り江にあるホテル。僕にとっても3回目だ。

 到着したのが夕方の5時過ぎ、入り江の向こうのリーフの空が夕焼けでオレンジ色に敷き詰められている。ゴルフ・バッグをえいこら担いで来たこともあって、名護ゴルフ・カントリーという4000ヤード位のショート・コースでナイター・プレイをする事になった。昼の温度と、夜の風の関係で僕は半袖で心地よかったが他の3人が寒い寒いを連発するので、途中で中止。ホテルの鉄板焼きを食べ、ほろ酔い加減で敷地内のカラオケへ。今年最後の「旅姿6人衆」を唄った。1999年はいったい何回この歌を唄ったかなぁ・・・・・・・・。



1999.12.24

バリッとダンヒルのスーツ。晴れ、VIPシリーズ。

バリッとダンヒルのスーツ。晴れ、VIPシリーズ。

I・R・Iの藤原氏を中内会長にセット。8時40分に神谷町集合。西澤氏、中田氏、クリス氏と大人数で芝のダイエー本社へ。藤原氏のインターネット総研が、マザーズ市場に上場した勢いを借りて、"時の人"という話題性に乗って中内会長に面談。会長も、比較的機嫌がよく、また昨日のデータに目を通していたのかVIP扱いでわれわれと接してくれた。藤原氏の学者的カリスマ性と、僕の細かい人間洞察力が上手く噛み合えば今後この企画は上手くいくかも知れない。記念写真を何故か取って、芝浦のローソンへ。

時間が詰まっているはずの、藤原社長も無理して同行。多分勝負の予感がしているのだろう。予定より25分も早く着いたが、広報室の鈴木室長の手配で藤原社長と、藤原社長の(わかりにくいなぁ)名刺交換。なんとCEOと、松岡専務理事が電話でフォローしてくれている。虎ノ門パストラルで簡単な朝食兼時間調整。今度は実行部隊との昼食。常務会長室長の宮島氏と、ダイエー情報サービスの佐野専務との昼食。「鮨貴(3433)2418」という宣弘社の裏の道。この辺りにこんな美味い寿司屋があったとは。話はとんとん拍子で、来年の一月は勝負になりそう。今度は、1時の約束でK−1の石井館長が来社。Gは、神蔵君の奥様、お嬢様に、秋山氏と大賑わい。石井館長曰く、「仕事には、陰と陽がある。どんな成功者もそれを上手く使いこなしてきた」これは凄い名言だ。

 2時からリクルートで高木専務に近況報告。

高木専務元気が無いな・・・?年明けに坂本 健さんの所にも行く予定。

 須川君とタクシーでタカラ本社へ。佐藤社長にプレゼン。須川君の素早い、わかり易い説明で社長感激、思ったより成功しそう。大阪の山口君のブブ・チャチャのおもちゃ商品の開発と、リカチャンの携帯モバイル。須川プロジェクトとして別の売上で計上したい。 

 長い一日が、やっと終わろうとしている。小菅のタカラからタクシーで大混雑の神谷町へ。江戸川の橋を渡る途中、富士山がシルエットに見える。夕焼けの川岸の向こうに、出来たばかりの高層マンションが煙突のように伸びて、それが太い額縁になって橙の空を切り取っている。こんなところから、富士山が見える・・・、江戸時代に夕焼け空の河原道から遊びを終えた子供たちが釣り竿を背中の乗せて家に急ぐ姿がイメージできる。そう言えば、銀座の「G」のママだったAさんがあのマンションの辺りに住んでいた。「昨日、オウムの信者に国松長官が撃たれちゃったの、マスコミが凄くたくさん来て大変よ」

あれはいつ頃のことだったろう。クリスマス・イブでタクシーはますます動かない。こんなときに限って、"水漏れ"なんかがおきてしまう。

 一日の疲れを取ったサウナの後、芝の駐車場の上にクリスマス・バージョンの東京タワー。青、緑、黄色の順番にライトがつけられ、雰囲気をかもし出している。寒い。この駐車場で、缶の緑茶を飲みながらクライスラーの中から何回東京タワーを眺めただろうか・・・?右脳はこの場所が一番休みを取れる。



1999.12.23

天皇誕生日。晴れの日が続く

天皇誕生日。晴れの日が続く


1999.12.22

海岸の制作室から東京湾が美しい。冬の青が澄んでいる。

海岸の制作室から東京湾が美しい。冬の青が澄んでいる。

 五反田の職安は、おそらく前代未聞の人で一杯。小渕内閣の国債の乱発で日本丸は沈没寸前。失業者と、失業者のふりをした手当て稼ぎの列が、流行のインフルエンザを巻き散らしている。お茶ノ水でJCBの重森君とクラフトマックスの江頭君と回転寿司。

 1月のコンサートの仕入れについて確認。御茶ノ水の人並みは、同じ不況感でも"色合い"が違う。学生の街だけに深刻な気がする。今日もまた懐かしい友人が二人Gに来社。PandS横井さんと、加えは葉巻のキョウドウ東京の三瓶さんだ。その間羅漢寺の日高君がずうっと席でユーミンのチケットの営業。

 今宵もまた忘年会2発。M君のセットした日経ストラテジーの上里編集長。

フォトロンの長瀬社長、と何年ぶりかで「西の木」。この2人は VIPだ。話の内容もインターネットの話題が中心。その後、神蔵君、ステファン、パトリックと銀座の「みどり」で合流、クラブ「E」へ向かう。



1999.12.21

結局の所、日曜日に睡眠取らないと、週の始めは辛い

結局の所、日曜日に睡眠取らないと、週の始めは辛い。

 この寒いのに、品田先生が芝でゴルフのレッスン。今日も"友、遠方より来たり"で、電通の石川さんがG来社。考えてみれば、石川君とも10年来の付き合い。リ  クルートを退職してからも良くしてくれるので本当に感謝している。

 ドリ・カムのチケットを入手。Gのスタッフと、中華(天下一の出前は×)を囲む。タクシーでイマジニアへ、役員会と全体会議。今晩もハードな夜。イマジニアとIandE研究所、Gの3社合同の連絡会議及び忘年会。嬉しい事に今晩は、金子 豊君、橘 繁昌君、重森君と新しい仲間が顔を揃えてくれる。それにキョウドウ大阪の関岡君も偶然に東京にいる。さすがに橘君がリードすると雰囲気が、リズムが、テンポが良くなる。なによりその明るさは誰にもまして輝くのだ。貴重な奴メ。香港から、ステファンとパトリックも参席。「シラノ」で2次会。その後、明日上場予定のI・R・Iの藤原社長と西澤氏の待つ神谷町へ。そして「まり花」で午前3時。僕にとっても、とても印象的な夜になりそうだ。特に、藤原さんは明日に朝にシンデレラ・ボーイに変身。吉祥寺の公団住宅から引っ越しをして・・・。隣で、ゆっくり笑う西澤さんの"ゆとり"が何故か不思議な満足感と緊張感を感じさせる。そうだ笹岡さんが「E」で待っているんだ。



1999.12.20

この文章を木曜日に書いている位、多忙。

この文章を木曜日に書いている位、多忙。

 実は、朝から楽しみにしていたJandCの忘年会。六本木は、大賑わい。金山代表以下タレントさんとカラオケ。プロダクションは何処もそうであろうが、光る人材はほんの一握り。その人材で、どう全体をPRするかだ。金山代表と、長沢 純さんの和眼へ。アントニオ猪木氏、ステファニー化粧品の一家社長と団欒。疲れて、酒が美味くない。さらに、急に外が冷え込んできた。



1999.12.19

睡眠不足、こんな日は、ゆっくり寝なきゃ。

睡眠不足、こんな日は、ゆっくり寝なきゃ。

 クライスラーの中で時間があり、伊集院 静の「金曜日の女神」を読んでいる。なんで昼寝出来ないのか?頭が軽い興奮状態で、だらだら眠れない。Gのせいか、年の瀬か?本日、スピードの解散コンサート、東京ドームは大騒ぎ。◎鹿児島へ。



1999.12.18

又もや、目が充血。眠い。晴れた、そして寒い。

又もや、目が充血。眠い。晴れた、そして寒い。

 香港の山下社長の紹介で鹿島建設の小野さんが来社。個性的、男性的、のびのびタイプ。驚く無かれ鹿児島の港を開発するプロジェクト。午後ライジングで年始のダ・パンプの販促コンサートのお誘い。そのころ豊田君と、品田氏はTBSのラジオの打ち合わせ。夕刻、Gにて西澤さんと会議。

 風邪の具合が、徐々によくなっている。深夜GでLDの試写会。



1999.12.16

今日も晴れ。睡眠時間3時間。やれやれ。

今日も晴れ。睡眠時間3時間。やれやれ。

 朝から、ミーティングの連続。FOREIGN TVのCEOと、ポニー・キャニオンの稲葉社長のセット。先方の大会議室で大掛かりな感じ。いずれにせよ我が顔は何となく評価が上がったようだ。その後、シニア・ゴルフの横井 ジョージ氏の紹介でタカラの佐藤会長と東京プリンスで初顔合せ。とにかく、はなしので早い人で、さすが創業者。リカチャン人形のタレント版、携帯電話、など来週企画を立てる話になった。自身と、社長の長男を次男に人事したことを、随分気にしている様子。

 午後、ホテルニュー・大谷に戻り、F/TVのコンテンツ関連業者のプレゼン。
オメガ・グループの()氏、山口氏にあった。何か、弱弱しい、若すぎる経営陣、インフラの未整備なこの国で、ストリーミング(動画)が流せるインフラがいつ出来るのか?

 恒例の、マリノス。大切な会話の時間。普段は車の中でゆっくりと読書や、仮眠をとる待ち時間なのに。海岸で風呂を浴び、神蔵君の京都日帰り出張のあとくらぶ「E」。AM3時。参った睡眠不足。




1999.12.15

本当に晴れた日が続く。風邪治りかけ。

本当に晴れた日が続く。風邪治りかけ。

 朝から気合を入れる。中内会長とのGの"仲間入れ"会議。30分待たされて現れた会長、やや機嫌悪そう。技術面のスタッフの充実や、コンテンツ(仕入れ)、の話、そして難所の流通、納品。宅配のトラブルを指摘された。ローソンの藤原社長に会ってくれとの指示。今年、たくさんの先輩たちが旅立った。金平会長、ネクサスの影山さん。1999年は、僕にとって、一番の変化の一年だった。そう言えば、僕自身も仕事を変えた。

 馬場さん(JTB)のご紹介の、鈴木君来社。長身の美少年。水球の全日本代表選手だそうだ。好青年、体育系の素直な31歳。採用したいのだが、Gの中でどう活躍してもらうかイメージ出来ない。江頭君と芝のレストランで「一番」の打ち合わせ。その後、I・R・Iの藤原社長と打ち合わせ。この人は本当に人物だ。スケールの大きさ、学歴、風貌、技術者として能力、それぞれが各々にバランスを取りながら独立している。タクシーで赤坂東急に移動。神蔵君から午後のKT社との合弁会社の打ち合わせ。ダイエー・グループに近いせいで、このテーマの会議に出ていない。その後、「ユウクン」で再び、I・R・Iの藤原社長、大和田氏、西澤氏、神蔵君と夕食。いよいよマザーズ市場上場まで、秒読み。羨ましいことに、ニコニコしてていいなぁ。「うさぎ」で、プライス・ウォーター・ハウスの前田氏と打ち合わせ。手品を3つほど仕入れた。

再び、クラブEで神蔵君と松下政経塾の友人、国会議員と久しぶりに馬鹿騒ぎ。

また風邪がぶり返してきたかな。品田氏と打ち合わせ。朝まで。



1999.12.14

空気が乾いている。風邪が激しく体を駆けている。晴れ。

空気が乾いている。風邪が激しく体を駆けている。晴れ。

 友人の藤原和博君と、ローソンの松岡会長と顔合わせの昼食。風邪はひどいが食欲がある。「こうぷり」で4人前食べた。新しい本を出版したばかりで、すっきりした顔をしている。こうして、新しい人と人を繋ぐのは神経が疲れる。

藤原は、完全に教育問題をテーマにしている。これほど、的を絞れればいいな。品田先生の会社の件で「オークラの山里」の別室で会議。M君に代表を勤めてもらおうと、定款関係の印鑑・・・・。

 風邪の具合いは、まるで停滞した台風のよう。海岸でスーツに着替え、と言っても顔のやつれは隠せない。特に、"目"の周りが熊模様。会場に、着くと如何にも技術のアクセス、紺色のスーツに、髪などかまっちゃいられないといった集団がごっそり。荒川社長や、山上さんの顔を発見。西澤、神蔵両名とパーティ会場をぐるぐる。何か、僕の風邪の菌が会場に広がっていきそうで、体内でも急速に増殖中。インサイダーの()さんと、世間話。会場を後にして、全日空ホテルへ。越智先生の相談で、掲載拒否を受けた会社の依頼。面倒な仕事。風邪は良好になってきた。



1999.12.13

空気が乾いている。昨夜の暖房で喉も乾燥、鼻水がたらり。

空気が乾いている。昨夜の暖房で喉も乾燥、鼻水がたらり。

衛星放送で6時起き。M社の11月の経理処理。橘君の高校時代の同級生の小倉先生が海岸の制作室に来社。

「消費税の5%部分が、大損になるねぇ」。萩原健一(ショーケン)のLDを見ていた。午後2時より、麻布のK.M.君と会議。生ごみの処理の機械をどう売るか? K.M.君、この手の世界ではきっと出世し、将来は部下が万単位になるような貫禄。僕と同世代という事もあり気が合うのだ。どこかで、役に立ってはいけないのだが。

 風邪が、だんだんひどくなっている。いつものことだが咳を主人公にした鼻風邪。夜、サウナでビールスを吹き飛ばそうと思ったが、小園君に止められ久しぶりに早く布団にはいった。伊集院 静氏のエッセイを読んでいる。同じ銀座組だし、同じ感性、それに友人の性格も・・、人への眼差しも。



1999.12.12

よく晴れた東京湾を、眺めながら制作室のベランダで深呼吸を1つ。

よく晴れた東京湾を、眺めながら制作室のベランダで深呼吸を1つ。

衛星放送@キムラヤ、、衛星放送A白金ブックセンター

神蔵氏、西澤氏と採用のためセンチュリー・ハイアットの「シラノ」。

その後、深川氏にガマGジネス・モデルの確認。収益構造、オペレーション、経営コア、の3点をもう一度確認する必要あり。今夜は、よく冷える。深夜、品田氏と赤坂で会議。時間の都合もあり、また深夜にやってる喫茶店も無い。車の中で、小一時間ミーティング。寒い寒い、冬の夜がやって来た。



1999.12.10

朝から散歩。Gの辺りは、たくさんの種類の椿が開花を待っている。

朝から散歩。Gの辺りは、たくさんの種類の椿が開花を待っている。その中で、石楠花の葉が美しい。暖かい冬の朝。

Kさんが、天国にいかれてずいぶんたった気がする。ご長男のと、全日空で、昼食。不思議だなぁ、「目」がとても似ている。Kさんも若い頃はこんな感じだったんだろう。肩の辺りの肉ずきや、小柄だが威厳が出てきそうな歩き方はまるでKさんが生き返ったみたいだ。



1999.12.10

東京タワーの空は紫、星がきれい、芝の駐車場

東京タワーの空は紫、星がきれい、芝の駐車場

 勝負の第一ラウンドの鐘が鳴った。僕は演劇的に表現し、いかに相手を驚かせ、感動させるか、準備段階の資料や組織のまとまりも含めて、プレゼン全体が戦いでもあり、勝利へのドラマだとおもっている。

これは多分リクルートの宣伝部の時代、数多くの"売り込み"を電通、博報堂から、プレゼンされたからだ。今日のプレゼンの前の打ち合わせは、そういう意味でやや事前の刷りあわせが足りない。役者は揃ったものの、シナリオ、ストーリーに吟味が足りない。そんな不安があったが、いざ始まってみるといやいやこの軍団の人材は中々の適応性、柔軟性があり、加えて先方がテクノロジーがさっぱしと来ていて上出来であった。

僕がイヴェント業界の中身を多少知っていることもあり、その後の別会社やもろもろの件は神蔵君の任せることにしてGに帰社した。新宿のパーク・ハイアットに戻り、スクウェアのN氏(現在、採用中のため内緒)と西澤氏、神蔵君で念の入った将来をかたった。とにかく、とんでもない時代の中でI・Tというビジネスを初め、ひょっとすると僕の人生の"サビ"のメロディーを作曲し始めているのかも知れない。久しぶりの西澤節に、僕の未来も面白くなっている。

 AtoZからM君のお誘い、着いてみると大福さまのように安らかな笑顔で寝ていた。合わせた両手がふっくらとしていかにも金運が良さそう。そういう僕も指は中太だ。何件か回って疲れているのか、起こさないように横でそっと由美子ママと世間話。そうこうしているうちに、ロートレックのYちゃんが登場、これで僕の役割は本日終了。長い一日が毎日訪れている。



1999.12.08

ここ一番の寒さ、今夜も星がきれい。

ここ一番の寒さ、今夜も星がきれい。

アクセスの山上俊彦氏にお手伝いを頂きKT社のプレゼンの会議のための、

勉強会。理解度60%。

朝から神蔵君とサウナ会議。自宅まで迎えに行って、裏道をとおりパークハイアットのスパ。ここの髭剃りはよく切れる。芝ゴルフの髭剃りは皮膚がよく切れる。富士山が高層ビルから美しい。昔は、東京の何処からでも見えたんだろうなぁ。さだ まさし氏がいつか河口湖のゴルフ場で真直の富士山に手を合わせているのを思い出した。

 「うさぎ」が満員で入り口の所で、テーブルをセットしてもらい、例の手品を披露されていると、なんとランダムの神谷さんと、橋本君が現れた。挨拶をしようと思ったが、久しぶりだし、場所も場所なので遠慮した。


1999.12.08

夜星見えず、半袖でも元気。 昼晴れ

夜星見えず、半袖でも元気。 昼晴れ

今日は、ガマに来客が多い。クラフトマックスの江頭君、ボクシングのマック金平氏、シナリオ・ライターの豊田君、山崎さん、JTBの原田君 珍しく机にいる時間が多かった。ガマのサイトのオープンまで、あまり

仕入れ業者にも積極的に会えないし、KT社との契約を終えるまで仕入れ関係の連中にも情報が出せない。品田君から札幌よりTEL。日本もせまい。

 Gのある、神谷町。昼飯の店が少ない。駐車場がない。声をあげて、挨拶をする人が少ない。しかし、町並みがトレンディー。マックが近い。銀杏の葉っぱが木の枝にへばり付いている。暖冬のせいか、コートを着ている女性があまりいない。そういえば、銀座の、酔客が道で立ち話をしていても平気だ。

神蔵君が、嵐田さんと新宿で新会社の調整中。僕の友人と、僕のビジネス・パートナーが僕抜きで"僕の未来にも、関わる話"をしている。昨年の今頃は、予想しなかった事。やはりインターネットが僕の生活に影響を与えている。



1999.12.07

晴れ、ゴルフには絶好の青空、でも会議と交渉の一日

晴れ、ゴルフには絶好の青空、でも会議と交渉の一日

 昨晩、笹岡薬品の笹岡社長と深夜まで、多分3時過ぎまで、"少年時代"をやっていた。黒のスーツに赤いタイと、いわゆる関西風のお洒落をきめ、クラブEでの決意を感じさる。ちょっと、今後の展開が楽しいなぁ と、いうことで、再び今夜もエルザだが、朝から体調悪し。昨日の疲れで、体がかなりきつい。ワインのせいか、睡眠不足のせいか、それともガマのせいか、「今晩一晩、やってけるかなぁ。」瀬名氏の件もあるので、芝サウナで1時間の休息のち、ポニー・でF・TVのプレ。稲葉社長もメモしながら勉強の姿勢。朝、ポケモンをローソンの松岡会長から頂いたので、翔に渡し、銀座へ。朝の状態より、不思議と体調がいい。アルコールを消化したのか、VIPをたくさん招待したからか、それともネオンの吸引力か、体が持ちなおしちゃってる。

  Eは、いわゆる今をときめく友人、知人、VIPが勢ぞろい。伊藤 元重(東大経済学者、経済再生会議)、自称パンツ屋とおっしゃってるアングルの河野社長、大蔵省・香川氏、通産・樋口氏、中谷 章弘君(文章家)、西川 劉仁(トレンド分析)、ブルー・ノートの伊藤社長(ライカ)、NHKの大島さん、全日空の小川氏、秋山 眞人氏(占い)、M&Aコンサル」村上氏、M君(S社)、それに、神蔵君、西澤さん。お店の売上げは、おおいに貢献できたんじゃないでしょうか。年末がきたなぁ、と初めて感じた夜でした。



1999.12.06

だんだん冬の寒さが気になるが、暖かい晴れ。14度

だんだん冬の寒さが気になるが、暖かい晴れ。14度

小園君が来京。ガマで働きたいとの希望。サウナの中で、例の痩身に懐かしさをおぼえる。何とかしたいのだが、金子君次第で、空席待ち。E-FITの会社のポストもあるかなぁ。

ポニー・キャニオンの稲葉社長を尋ね、FOREIGN-TVのプレゼン。僕の知恵不足と、直感の内部分裂。

PM8時からアクセスの荒川社長、山上氏と打ち合わせ。IP(インターネット・プロバイダー)は、携帯が入り口になり有利。という話。この二人の、ヘヤー・スタイルが何とも技術者風で珍しかった。考えてみれば、もっと早くこの手の技術者達と話をしていればよかった。つまり人脈が、結局文化系によりすぎていたのか?人間の"仲間サークル"は意外と嗜好性によって決まってしまい、情報も偏ってしまっているのではないか?しかし、彼らも、僕のソフトを欲しがっている。技術と、文化の交差路、まるで、東シナ海の貿易商が塩と銃を交換しているみたいだ。



1999.12.05

晴天。夕方から雨の予報なのに、降らず。夜ポツリ。

晴天。夕方から雨の予報なのに、降らず。夜ポツリ。


大阪から、舞台芸能の品田 昭夫氏が帰京。東京駅にお迎えに。皮のコートのポケットがやたら複雑な構造になっているため、手で持っていたのが大失敗。


何故か帰り道で、携帯電話を無くしたことに気がついた。・・「悪いことに、丁寧にも携帯の中には、N会長を初め、E会長、など財界を代表する諸先輩の番号やらタレントさんの情報がずらりとメモされている。」


慌てて、NTTの落し物係に電話。のほほんとした初老の声の担当者が


「むずかしいかもしれませんねぇ。」


「とにかく、メモリーだけでも消してもらえませんか」


「いやぁ、むずかしいかもしれませんねぇ」


しばらく混乱しているところで、NTTから吉報。携帯をもう一本も持っていて良かった。というのは、拾い主が現在"落とし主"を探しあぐねて困惑されているとの事。自分用の携帯からすかさずお詫びの電話を入れると、本当に困った声で、


 「どこにいきましょうか・・?」


 「何処でも、参りますので」平身低頭、汗だくの"声"だ。


拾い主は二人連れで、理科系の大学生風、横に添っている女性が本当に可憐な美人であった(話の流れとは違うが)。5千円札を咄嗟に男性の紙袋に入れ、もう一度頭を下げた。


 「助かりました。」


日本にはまだ心ある人が、残っていると久しぶりに驚いた夜でした。


加えて、ちょっと、時間が詰まりすぎてるのかなぁ。


1999.12.04

やはり晴天。17度、暖冬のいい天気。

やはり晴天。17度、暖冬のいい天気。


ローソン会長、松岡 康夫氏のご長男の結婚式。気が重い。本当はゆっくり散歩でもして本屋で時間を潰したかった。ところが、式場のニュウー・大谷に30分前に着いて席順を確認して見ると隣席がローソンの藤原 謙次社長。コンサルの山口先生が向かい。とても途中でFADE/OUTは難しい、場合によってはGの今後の件もあり、神様がくれたチャンスかも知れないと気合を入れた。式は3時間30分にも及び、さすが新郎が博報堂に勤務しているだけあって若者の招待客向けのイベントもあり、主賓の中・高年用の工夫にと"人生の先輩"も自然に奉りながら、終わってみると楽しかった。


中でも、二人が老人になったつもりで、メイキャップまでして作り上げたVTRが何となく笑えて、しかも目尻に涙が溜まった。右手の博報堂、宮川常務はなんとテーブル・クロスで頬を拭いている。礼服が見当たらないので、バレンチノの黒スーツにシルバーの蝶タイで誤魔化してしまった。松岡会長が小さく見えさすがに貫禄が震えて肩を揺らしていました。