DIARY:夕焼け少年漂流記

 

1999.12.25

海岸の制作室から今上がったばかりの朝日が眩しい。

海岸の制作室から今上がったばかりの朝日が眩しい。

 神蔵君と沖縄に癒しの旅に行くことになった。今年の8月もそんな話があったが、予定していた彼の相棒が行けなくなって今回に流れたのだ。海岸の制作室から朝日が差し込んでいる。雲が早く、頭の上を通り過ぎていく。飛行機が揺れなければいいが。8時過ぎの早朝便は、年末の休暇を南国で過ごす人たちで随分混んでいる。満席のスーパー・シートでゆっくり寝込んでしまった。沖縄に出向くと、いつも故郷の鹿児島の空の上をとばしてしまう身勝手に、やや胸が痛い。まして母親の具合が、良くないし父も看病に疲れてストレスがたまっているのに・・・。

 沖縄は、やはり暖かい。5度から10度くらい違うかな?近距離と、遠距離のタクシー乗り場でいつも迷うのだがリンケン・スタジオのある読谷(ヨミタン)は遠距離にあたるらしい。小型車は事故に遭ったときに悲惨なので大型車を選びたかったが又もや希望が叶わない。時間があるので、国際通りに立ち寄って、地理の確認をしてみたくなった。

三越前にタクシーを待たせ、牧志の公営市場を覗いてみた。年の瀬で活気がある。ハリセンボン、うつぼ、青ぐだい、名物のグルクン。一階の魚市場で魚を買い、二階の食堂で料理をしてもらえる。まるでシンガ・ポールのニュートン・サーカスと同じシステムだ。イセエビの大きなやつを味噌ラーメンに入れて食べている人がいた。

 リンケン君は、事業家としても優れているのか仕事が速い。良くこんな合間に作曲ができるなぁ。昔、ただのコンクリートの空間だった一階のスペースにハワイアン・レストランが誕生していた。しかもにぎわっている。昼食を取りながら1便遅れの神蔵君たちと合流。ブセナ・テラス・リゾートへ向かう。沖縄はたてにひょろりと長い島なのでうっかりすると、東京から静岡くらいの距離を走ってしまう。来年の6月のサミットの会場にも指定されたホテルだけあってちょっとした御伽噺の入り江にあるホテル。僕にとっても3回目だ。

 到着したのが夕方の5時過ぎ、入り江の向こうのリーフの空が夕焼けでオレンジ色に敷き詰められている。ゴルフ・バッグをえいこら担いで来たこともあって、名護ゴルフ・カントリーという4000ヤード位のショート・コースでナイター・プレイをする事になった。昼の温度と、夜の風の関係で僕は半袖で心地よかったが他の3人が寒い寒いを連発するので、途中で中止。ホテルの鉄板焼きを食べ、ほろ酔い加減で敷地内のカラオケへ。今年最後の「旅姿6人衆」を唄った。1999年はいったい何回この歌を唄ったかなぁ・・・・・・・・。