DIARY:夕焼け少年漂流記

古い10件 | 新しい10件

 

2011.08.24

第25号 きいち・・再び連稿

 銀座「きいち」の壁に、安藤勇寿先生の絵が飾られた。この店の、雰囲気に溶ける。献立にピッタリくるだけでなく、千葉さんの素朴な情熱的な、人懐っこい性格が、絵の中の主人公に何処か”しっくり”似ている。
 このHPの愛読者の方は、是非一度、お店を覗いてみてください・・・・な。

 ネットの時代は、ありとあらゆるものを無神経に露出し、本物だろうが偽物だろうが、個人の主観で好き勝手に評価できる、全ての存在が、簡単に評価される、無責任な社会でもある。例え対称が人間であっても、芸術であっても、国家であっても、自然であっても、個人の価値観はどんどん無制限にインターネットという”おしゃべりな電線の無法地帯”を通して、流れ広がり、地球を染色していく事が可能である。


 本当の現実を見るには、エネルギーが要る。人間は億劫で臆病で、さらに怠惰だから、これがまた曲者のメディアを加速さている。携帯電話で、絵の展覧会を見に行く人もいる。

 店を出て、銀座の裏通りを、会社に向って急いでいると、コンビニエンスの入り口で缶ビールを飲んで、歓声をあげて騒いでいる若いサラリーマン集団を見た。その通りの端っこで、空き缶を探しては、残りのビールをチョビチョビ吸い込んでいる30台の浮浪者がいる。失業している若者の数は、簡単に手に入るが、彼らの悔し涙のしょっぱさは、ネットでは手に入らない。
このコントラストに現代に住む人間の乖離がある。

”人の痛みや悲しみさえもが、苦しみや、苦味”までもは、情報化されない中途半端な世の中。気持ちや感情は、数値では測れないのだが、その理解力を高めようとは誰もしない。

 そんな日本の夜に、「きいち」の壁にかけられた安藤先生を眺めながら、ラーメン(タンが煮込んである)をすすると、暖かかな気分になる。
 寂しい気分が、水彩画のように薄くなり、それを麺と一緒にすすり込むと
ひと安心する、僕である。






2011.08.21

第24号 MKタクシーと、美楽カフェ・オープン

 MKタクシーさんには、月刊美楽が創刊当初から、お世話になっている。頭も上がらないし兼ねてから何か”恩返し”を考えていたが、ちょっと遊び心で広告を作ってみた。あの礼儀正しい運転手さんを、ニコリとさせてみたかった。広告は、宇宙飛行士を運転手さんに仕立て上げて
「月まで行きたいのですが・・・・」とお客様にお願いされるコピー。
「地球まで、帰りたいのですが・・・・」これは、第2弾。

宇宙服のMKマークが、妙に、可愛らしい。

 先日青木社長に、恐る恐るこの絵柄のプレゼンをしたら、大喜び。仕事のスピードと、思い切りの良さは抜群の人だから、
「これ銀座の看板に、させてくださいよ」との、ご意見を頂いた。

 次の日の夜、看板の位置確認と、通行人の視線を見に出かけた。
その場所は、銀座8丁目のリクルートのすぐ左隣30メートル。
僕自身何千回も、歩いた通りに在った。

 写真の右の絵柄は、美楽の表紙、左は、MKさんの広告。
その建物の1階に「和風団子喫茶・美楽」をオープンすることにした。

人間の、夢は希望から始まり、希望は欲望から始まり、欲望は食欲、金銭欲、性欲、名誉欲、睡眠欲など多々あろうが、生命力の強さに、起因すると思う。美楽の夢は、全てのニホンジン一人一人が、もっともっと、正常な夢を、持ち始めることだと、考えている。

 今の、この国は、誰かにコントロールされて、諦める事や、忘れることで・・・・そうそう、小さな夢より、大きな希望を持つ人が、足りないのだ。




2011.08.11

第23号 千葉さんの古時計は20年もの

 千葉さんの「きよし」に安藤勇寿先生の絵を掛けていただいた、御礼に古時計という20年物の日本酒を、頂いた。この「古時計」は、津波に襲われた気仙沼の海をぷかりぷかりと漂流していたもので、日本酒の蔵から流出した殆どの日本酒は、行方知らず・・・になったらしいが、偶然見つかった。

 あの夜、恐ろしいほどに星が美しく、その星空を、流れ星を眺めていた被災者も何人かいたと思う。砂にまみれてその僅かな隙間から夜空を見た人や、瓦礫や流木に体を預けながら、オリオンを数えた人も居たに違いない。
 「古時計」という名前の由来は聞かなかったが、何年も先まで、永遠に時を刻むという意味だろうか?唯の古酒とは、思えない。

 店の電燈に一升ビンを透かしてみると、濃いビロードの様な、赤茶けた紫の向こうに、千葉さんの顔が見えた。

今晩も、被災地の友人からの携帯が鳴っている。

 紹興酒のような甘みの後に、舌の上で日本酒の香りが、ほんの仄かに匂う。酒の弱い人も、ストレートで、飲むべきでは?そんな気持ちになった。

 「このお酒を、漬けた人は、一体どんな人なんだろう」と、思うと、しばらく、永遠に僕には飲めなくなって・・・・・・・。しまう。




2011.08.08

第22号 ちばき屋の千葉さんは憧れの日本男児

 ちばき屋の千葉さんは憧れの日本男児。というと日本男児って何ですか?聞かれてしまうくらい日本と言う言葉が、何処にも見当たらない”今の日本”。
 この言葉の本質は、男の生き様、死に様、そして行動指針を支えている”男の有り方”を表現するもの、よって、現在の日本のように、人それぞれ個性が在って、自由で言いじゃん、、、と言う人には、気難しく聞こえるかもしれない。

 千葉さんとは、彼これ人生の半分くらいのお付き合い。とある飲み屋のカウンターで、盛り上がる客を尻目に、僕たちは、一人黙々と、考え事をしながら飲むタイプ。よって、今でもそうだが、気になって仕方が無いしょうがない存在であった。

 「今の、料理屋を止めて、ラーメン屋を始めるんだ」
と聞いた時、なんだか一流の割烹料理屋を止めて、何故ラーメン屋なんか始めるのかは、当時の僕には理解できなかった。

 その後ラーメン「ちばきや」は、その味が日本全国に評価され、押しも押されぬ一番のラーメン屋になった。

 日本男児の条件には
@夢を持つこと
Aその夢が、社会に影響を与えること
Bその夢の為に、死ねること
Cその夢を、みんなが、歓迎すること
Dその夢には、一本柱が立っていること
Eその夢は、簡単にあきらめないこと
Fその夢には、終わりが無いこと
Gその夢を、後ろ指で指されても、笑っていること
Hその夢のお陰で、人が成長すること
Iその夢が叶ったら、日本を誇りに思うこと

 千葉さんの故郷気仙沼の旧友から、電話が入った、
「会えなくて、ごめんなぁ、今度行くからよ」

来年の春が来る前に、地震と津波で、全て流された気仙沼の海岸に「かもめ食堂」という料理屋を作り、彼の原点になった、ラーメン屋を復活させる予定である。
当時、小学生だった千葉さんはその店で、おばあさんの造る”ラーメン”に、感動して、魅せられて、今があると語ってくれた、

そうそう
J番目は

 夢が達成されたら、世話になった人に、恩返しをすること

*例えその人が、この世を去っていたとしても。






2011.08.03

第21号 上田正樹さんは順風満帆の予感

 上田正樹さんは、これからの音楽家として、順風満帆の予感がする。
 一口に音楽家、ミュージシャンと言われているが、その存在を、又は個性を考えていくと、音楽家と言うよりは話し上手なテレビ・タレント、見栄えの良いモデルさん、詩人、作曲家など音楽家と言うよりは、別なジャンルに分類はめ込んだいい連中(方々)が山ほどいる。

 音楽が、聞く人に向けられて存在する価値があるのであれば、そこには社会的責任もあり、複数の聞き手や、メディアを通して世の中に、広がる可能性がある以上それはメディアである。
 従って、音楽家を自称するのであれば、その誌、メロディー、その声の影響力を、考えてしかるべきなのである。ましてや、職業にしているのであれば、音楽家は、プライドを、持つべきである。
「わたしの、音楽の目的は、ここ・・・・なんだと・・・」

 最近、会いたいな思う人に、偶然出会うことが何故か、多い。
友人のN君の紹介で、上田正樹さんの、話が出た時も、数週間前に彼のDVDを
見ていて、「やはり、本物なんだな・・・・・」と感心していた。

 上田さんは、アジアのソウル(魂や情熱を音楽で表現する)は、欧米とは、異なり、場合によっては、それ以上のパワーがある・・・と信じている。それゆえに、インドネシアや、フィリピン、インド、台湾、韓国、中国と現地の音楽家と共に作品を作り、その活動を通して、日本の文化を伝播させている。

 そんな、彼の夢と気持ちと、”話”に、深く共鳴した。

 あの頃、僕は、人生を迷い、将来の職業や生活スタイルさえ判断しかねて、音楽から離れていった。
 臆病な事に、音楽を職業にしていく自信・・・”食べていく自信”が、無かったがゆえに、音楽を捨てた。音楽で、自分を表現することを放棄した。

 目の前の上田さんは、豊かな目をしている。好きなことを、思ったことを、歩くべき道を、選んできた男の誇りや情熱が、”目を肥やしている”。

「何か、気分いいですね、一緒に、日本を、伝えましょう」
上田さんの言葉に、僕は、恥かしながら、取り返すべき人生の時間と青春の
忘れ物を、捜しにいける予感がした、恥かしながら・・・。

 その夜、「大阪ベイ・ブルース(悲しい色やね)」と、写真の「今ある気持ち(東日本大地震のチャリティーソング)」を聞いた。
 久し振りに、ギターを持ち出して、流れる音楽に合わせて、弾いてみる。
少し、錆付いた気持ちの向こうに、暗くなった東京タワーが呆然と在る。
  
 人生の錆びは、意外と、磨けば、落ちるに違いない・・・しかし、光るまでには、今の僕には、何かが足りない。そう、あの頃と同じ”足りない”何かが、解からない?????




2011.07.21

第19号 月刊「美楽」8月号

「しょんべん」

どうして真夜中に目が覚めたのかな?

布団の中に、白い秋の風が入り込んで、ブルルと背中が震えた。

夜空に、小さな流れ星を一杯詰め込んだ特急電車が、走っている。

いつもより、ゆっくりゆるりと、おしっこしている。







2011.07.21

第20号 「隠れ家」懐かしいライブハウス

 「隠れ家」ってライブハウスは知る人ぞ知るアマチュアミュージッシャンのメッカ。サラリーマンで”あの頃の音楽”を忘れられないロマンチストが、集い、熱気溢れる演奏を披露してくれる。

 浜松町の裏通りの、ビルの地下に、70年代を彷彿させるライブ空間。厚い歴史を感じさせる・・・・壁には、懐かしいギターが掛けられている。
もちろんハイライトの紫の煙が漂い、焼きうどんや、焼き蕎麦や、一歩進んで、音楽を語るには、その為の言葉が飛び交うような椅子とテーブルが数席。

「よろしければ、歌ってください」
「此処は、プロは、お断りなんです」
「イエロー・モンキーやりますよ」

昔、学生時代に公園で寝そべって、将来を弄っていた頃、こんなライブハウスのマスターをやりたかったんだ。

 台風6号が、駿河湾を太平洋に右折して、たまに、土砂降りになる夜、
僕も、傘をささずに、しばらく、道に座り込んで、月も星も雲もない雨空を見上げていた。

「ずいぶん、遠くに、来たもんだ・・・・・」





2011.06.23

第18号 ほたるの里

 ほたるの里は、以前イマジニアの神蔵社長や、笹岡薬品の笹岡氏や、毎年忘年会で集まっていた湯河原の「あしかり」から徒歩7分。ゴルフに行くのに1時間程度のドライブは、日常的で気楽な気分になってしまった。
 夜、眠れないので東名高速を飛ばして、久し振りに蛍を見に来た。

この辺りの、蛍は、観光名物になっているので、昼間は人ごみが多く、また夜も近所の旅館が「蛍ツアー」を売りにしているので、ごちゃごちゃ・・・・蛍どころでは、ないのだ。

 深夜の川べりには、誰もいない。
暗闇に、星のように、数十匹の蛍が、灯りを付けたり消したり、出没している。
 東電の、アクシデントで、湯河原の町全体を心なしか暗くしている。
蛍を、何百万匹飛ばしたら、原子力発電に追いつくのだろうか?いやいや蛍が舞消えた日本に関しては、電気の文明力より、ニホンジンの”分火力”を議論する余裕さえないないのだ





2011.06.20

第17号 月刊「美楽」7月号

「波」

足元が、柔らかくて冷たいのは、太平洋の飛沫を浴びて岩を住処にしている濃緑の苔のせいだろう。

岬の先端にそそりでた、いつもの岩に、午後の強い波がバシャリパシャリ。

僕の体は、透明の泡になって、空にはじけると、青い鴎の背中に飛び乗った。





2011.05.27

第16号 東京タワーの灯り

 東京タワーの灯りが弱弱しい。タワーツリーにその役割を譲る準備が始まったからなのだろうか。今の、管総理の表情にも似ている。東北震災から3ヶ月が過ぎようとしている。国民の大半が被災地の状況も、東電の現状も、ましては、国際経済の悪化も、夢遊病者のように、テレビから零れる断片に、流されながら翻弄され、徐々に無力化している。

 先日、総裁候補と噂される友人と、晩飯を食べていると、疲れたような顔をして
「東さん、力の出しどころが、解からんよ」とボヤイテイタ。

政治化主導でも、官僚主導でも、明確なのは時間軸を経済主導に即刻変え、
各務の役割分担を大胆に行えるトップが居ない。
会社組織で言うと、パーツ(技術)はしっかりしてるのに、自転車操業の状態で泥濘にはまってしまった様だ。
 その間、国際関係も日々悪化、欧州も米国も火達磨で、中国はぼちぼち調整局面、アフリカ・中東は石油情勢が混沌、・・・・・
島国日本は、震災が目潰しとなり盲目的に、放蕩を始めている。

 増上寺の徳川家の霊廟が、今年も、一般に開放されている。葬られている遺体は本道裏と、寛永寺、栃木の日光輪王寺、にある。家系図を眺めていると・・・・・・・今の政権の短命は、この町に灯りすら届かない仄かな東京タワーのようだ。

古い10件 | 新しい10件