DIARY:夕焼け少年漂流記

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2011.05.21

第15号 上海雑感

 上海・外灘エリアには、中国全土から観光客がやってくる。川の向こうには、共産主義的資本主義の象徴とも思われる浦東の高層ビル。足元には占領下に建造された、由緒正しい建造物。それぞれの建物の上には、中国の国旗が、誇らしくなびいている。国家経済が猛然と伸びていく際に、起りうる矛盾も、エンターテインメントとして観光化する。
 日本で言うと東京の隅田川?京都の鴨川・・・・雰囲気的には大阪の淀川だろうか?

 今日一日を、懸命に生きるエネルギーは、懸命に食べて寝てを繰り返しながら、時として冷たい炎のように、未来を焼き尽くし、享楽の時間しか、残さない。それを、平然と受け入れる中国は、やはり未知の国。

月刊美楽を、この町のニホンジンに、届けたいと思う。この国の瞬間的な爆発力に負けないように、この国の、巨大な空域を持った精神に取り込まれないように。





2011.05.20

第14号 魔都上海にて

 上海へは、久し振りの旅。空港から市内へのハイウェイは、整備され、平行して話題のリニア地下鉄が、市街地へ向って時速400キロで、走っている。
相変わらずの曇天、空は湿って濁り、重たい空気が充満している。
少し近代的な建造物がところどころに散在している。上海万博で話題になった会場がチラホラ。それも昨年の熱気を忘れたかのように、寂しい存在感のままに既に過去となってしまった静寂の中に佇んでいる。

 花園飯店に着くと、ホット一息。ここは、ニホンジンの資本(血)が流れているホテルだけに、安心感がある。
 旅人は、何処かで、見慣れた光景や、吸いなれた匂いを探しては、疲れを解すのだろうか?・・・・・・久々に日本語を聞いた気がした。

 昔、ダイエーの中内会長と散歩したストリートを探しながら1時間歩いた。この町独特の、海風に混じる排気ガスを堪能しながら、浦東の見える川沿いを、歩いた。36度もあるのに、皮膚が東京のままで、気候に同化しないせいか、汗さえもこの町に遠慮して、飛び出さない。

 昔、日本人を始めとした、貪欲な資本家は、汚職を筆頭に、賄賂と賭博と、麻薬と、売春と、この町を汚染した。「魔都」上海。
 スリリングなスピードで発展?変化する町の裏通りには、そんな経済的な演劇など興味すらないような顔をした貪欲で逞しい老人たちが、「世界の方向と、風向き」占っている。




2011.05.20

第13号 月刊「美楽」13号

『輪ゴム』
 蚊の鳴くような声に耳をそばだてていると、田んぼのくすんだ風に乗って、いつもの来訪者が狙われている。幸せを運ぶ者と、幸福になりたいものはいつも罪なく、両立する。

 ツバメは数年来、巣を大きくしながら夏を楽しみやってくる。僕の人差し指が震えるのを見て、三毛の子猫が、驚いている。





2011.04.30

第12号 千葉グレンモアの地割れ

 千葉成田のグレンモアは難易度が高いコース。
 フルバックからのプレイは美しいレイアウトも水も風も感じるはずの自然の全てが敵になる。
しかも、本日のプレーは、コースの何箇所かに地震の後遺症・・・つまり地割れや、大地のゆがみがあると支配人が、ぼやいている。

 「ゴルフ場の数NO1の千葉県でも、房総と成田では、随分被害が・・・揺れが違うんですね」。。。角屋さんとは、久々の対決である。

 「この辺りで、池の底が割れるんじゃ、東北のコースは、傷んでますね」

 青々と晴れた空の下、8番ホールの向こうに、送電線が聳え立ち、そこから福島原発のある東北の方に電線が、延びて行く・・・

 関東地方の何処のコースに出かけても、その光景が美しければ美しいほど、あの日の”惨劇”と、フェアウェイの緑が、感じようも無い落差となって、自然と人間の関係の複雑さと、それを逃避させるような無常観を覚える。

 しかし、テレビや、雑誌などのメディアに携わる一流の?人間たちは、何故あの津波で打ちあげられた生活の一部を”瓦礫(ガレキ)と、呼ぶのだろ
う。すべては、生活の一部であり、思い出のかけらであり、人間の一部であるはずなのに・・・・・・。

 ある局の新人アナウンサーは、
「この巨大なごみの山・・・・・・を政府・・・・が・・・・なんとか」

 あなたが、ごみの一部なんじゃないのかなあ?




2011.04.20

第11号 月刊「美楽」5月号

『毛虫も応援』
 みんながもうとっくに、蝶々になったのに、僕だけまだ毛虫のまんま。葉っぱもたくさん食べたし、たくさん日の光も浴びた。それなのに、僕の体から、まだ羽が生えてこない。

 葉っぱの隙間から近所の子どもたちが、田んぼのあぜ道で歌を歌っている。
 僕と同じくらいの年頃かな。





2011.04.16

第10号 地震雲!?

地震雲!?3.11以来、空を凝視する事が多くなった。
あの災害は、到底映像や、言葉では表現できるものではないし、またそんな
技量は日本語には無い。

今朝もまた、何処かでわが身に、置き換えられない安心感と”虫のよさ”が
空を眺めさせているのカモシレナイ。

 しかし、薄ら薄ら解かってきたのは、どうやら僕たち人間は、自然を
上手く利用して暮らしていると誤解していたが、それはとても悲しい傲慢
にすぎなかったと言うこと。自然が人間に”生きる許可”を与えていたという事。
 それでも「誤魔化」しの豊かさの中で経済一本を軸に、動いていたこの国の事実は、東京電力のスタッフを見ても、それを批判しているほぼ日本人全体を見ても、今後もとろとろ変わる様子も無い。

 黒い海が静に、そして自然に、人や、建物や、山や、社会に押し迫り、
巨大な胃袋のように、”生命”を放り込む。
 「死」が普通で「生」が、奇跡という現実。我々、人間は死も生も選択
出来ない現状を、目の当りにしてしまった。

この生と死の間で、テレビや新聞や全ての媒体が、ただの数字と”お慰みのやさしさ”をCMにして、垂れ流している。

 今や力の無くなった歌手や歌は、またもやお悔やみにもならない流行歌を、街中にたれ流している。

 地震雲を見ていると無力になる。雲は、どんな形であろうが、自由で美しいだけに、無力になる。
 私たちは、自然に選択されて、数十年を活かされている。




2011.04.09

第9号 桜の咲く日本列島

 桜の花が、日本列島を、縦断する。
 数年前から、この桜が開花しながら北上するスピードも、地域も以前とは違ってきているらしい。行きつけのホテルの一番桜は、「琉球彼岸桜」で、早ければ2月の下旬には濃いピンク色の花びらを満開にする。トリにあたる「ソメイヨシノ」が、増上寺の境内を夜空が見えないほどに覆う頃より1ヶ月は早い。
 温暖化と言うよりは、何か地球の下で、ぐつぐつ地熱が滾っているのだろうか?生易しい気候や雲の変化と言うよりも、強力な地底のエネルギーが日に何度も、大地を揺らし、ビルを振り回し、テレビやラジオの音のない瞬間も、天井を見ると、壁が動いている気がする。
 どうも三半規管が、麻痺し、体のバランスが、取れていないようだ。

 今年の桜は、ほんの少し優しい色をつけている。街中のネオンと、看板と、オフィスの窓明かりが、消えた東京で、静に”弔いの声が”聞こえた。
月明りの下で、花びらが、囁いている。
 「東北の仲間が、何本も何百本も根こそぎ海に流されてしまった」
*「散る桜、残る桜も、散る桜」






2011.03.22

第8号 月刊「美楽」4月号

『耳そうじ』

「さくらの花びらの開く音が聞こえるよ」
と、口癖のように言いながら、母さんは耳そうじをしている。
耳の奥のほうでごそごそと、風がぶつかるような音がる。僕は手を握り締めて固まっていた。

 桜の花びらが咲く音はしなかったけれど、夏の風に揺られて落ちる花びらの音が聞こえた。





2011.03.20

第7号 月の引力

 月の引力とは、古くからたくさんの小説やデータや映像にもなっているが、なんと言っても人間の心を一瞬にして奪う”その光の力"ではないだろうか?人は、物を見たり、聞いたりすることで、”胸の中にある心を、対象物に奪われる”。まるで、放り出すように、対象物に心を放り投げる。

 二日続きの、ゴルフで、下半身がパンパンに伸びている。車のアクセルを踏むのも一苦労。
 夜食を食べて、皇居の横を通りかかると、一人の年老いた深夜のランナーが、芝生の上で、夜の空を眺めていた。
 空を覆う雲は、青白く光り、しかもまるで大陸が移動するように、ゆっくりと流れている。
 顎を上げて、フロントガラスから、ビルの上の空を眺めると、雲の隙間から、月が見え隠れしている。思わず車から飛び降りて、僕は、皇居の芝生の上に、寝そべった。そうそう、今宵は、スーパー・ムーン・・・・・こいつが、地球を狂わせてるんだ。地震、津波、火山・・・・・満月。
 普段、ホノ優しく感じる明りが、今夜は、なんだか、”悪い占い師の鏡のように”引き込まれ、魅せられてしまう。


(注)月と地球の接近は「スーパームーン」とも呼ばれますが、今回はおよそ35万6500キロメートルと、1992年以来19年ぶりに最も接近した距離となりました。
 NASA(アメリカ航空宇宙局)によりますと、今回は、月と地球が最も遠くなった時に比べて、大きさでは14%大きく、明るさでは30%明るく見えるということです。

 確かに、確かに、いつもよりずっと大きな満月だ・・・・心が熔けて、ふやけて、吸い込まれていく。




2011.03.17

第6号 「「はしご」揺れる拉麺

 VSNのK役員といつものように、一風呂浴びた後、何か”油っぽい”ものが、食したくなり銀座のシナ麺「はしご」で、醤油に”全部いり”を食していたら・・・・例の振動が、やってきた。店員さんも力強く身構え、客も唖然として、寝れた視線で壁や天井を眺めている。私は内股に、筋力を張りながら、咀嚼を急いで麺を啜る。ずうずずずずz!

 11日の地震の時も、
「震源地は、何処だろう?」と瞬間に案じ、本能的に地震の規模の大きさを察した。その後に東北の惨状をニュースで聞いた時、つらいな・・・やはり、そうか・・・そうだったのか・・・と思った。

 よくよく器の表面を凝視すると、叉焼と麺が小刻みに揺れているように感じる。日本に住む全ての人が、そうかもしれないが、体の軸が異常に繊細に反応し、それは、まるで”麦の穂に留まる赤とんぼ”のように、揺れることに敏感な恐怖を、覚えてようだ。昔、釣り船が波に揺られて、2,3日シップ・ラグに襲われたことがある。そう、日本中が、気持ちも、心も不安定に揺れているのだ。

 ”揺れる拉麺”を急いで、タイラゲ、人気の無い銀座の待ちを、後にした。
 鈍感な私でさえ、しゃぶしゃぶや、鍋料理、など器の表面にお湯の張ったメニューは、しばらく、食べる気がしないとなれば、料理屋さんは、この春から、売り上げを下げることになる。

 この夜も、岩手、宮城では、ばらばらになった人の頭上に、春の雪が落ちている。


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