DIARY:夕焼け少年漂流記

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2011.10.28

第35号 上田正樹氏in東北(石巻の小学校)

 上田正樹さんの新曲に、子供たちの声を合わせてみる。被災者でもある子供の心は、少なくとも、申し訳ないが、進学塾の帰りに、コンビニで、漫画やゲーム本を立ち読みをしている子供より純粋で、研ぎ澄まされているに違いない。
 あの”悲劇”によって、生きることの大切さと、生きる上での大切なことが、はっきりと解かり始めている。

 「今在る気持ち」この曲のタイトルにあるように、今を当たり前に生きる我々は、今の有り難さに浸りきり、動物園の盲目のライオンが、与えられた生肉を食べて、欠伸をしているようなもの。

 地震で随所に転々と段差が生まれ、かろうじて遺跡のように残骸がちらばる町の校舎は、オアシスのように思える。子供の心は瑞々しい。

さびにあたる、詩の中に
「輝き続ける星たちに・・・・この愛が届くまで」
この星とは、子供たちの両親や、親友や、先生や、亡くなった被災者に加え、やがては、僕たちも天に昇るわけだが、音楽もの持つ、永遠の力にも期待したくなる一説である。

11月20日過ぎに、この音楽は世の中に発表される。






2011.10.24

第34号 上田正樹氏ライブは本物の音楽人

 上田正樹氏は、たったの一人でも、僕の音楽を聴いてくれる場所があれば、何処にでも出かける・・・・主義である。
 10000人規模の東北の被災地のコンサートにも、恵比寿のスナックにも、スーパーの駐車場でも、結婚式でも葬式でも・・歌う・・・唄える。

 喉から振り絞るおようなハスキーなしゃがれ声は、地球の底から響いてくる風のようにも聞こえるし、誰の耳にも心地良い”甘い飴”でもある。
彼も、この声に自尊心を持っているし、また最近の中には、滅多に見られない音楽家らしさは、お金や、名誉や、権力や、時間からは全くの無重力なのだ。芸術家は、なるべく常識や既存の価値観からは離れた方がいい。

しかし、それらのルールを無視するには、相当の勇気と実力と経験と忍耐が必要となる。

 先日から、来年に向け、音楽活動の打ち合わせをしている。
上田さんの目指すソウル(魂)は、日本の童謡にも似ている。「夕焼け小焼け」「叱られて」や「きらきら星」の作者たちは、どんなソウルで、譜面を
書いたのだろう。

この不安だらけの日本の、あちらこちらで安らぎを求める人に、聞いてもらいたい録音をしたいと思っている。




2011.10.20

第33号 月刊「美楽」11月号

『飛び石』

 去年の秋に右足が届かなくて、川に滑り落ちた。
 水の流れが速くて、岩に膝小僧をぶつけた。

 紅葉や蔦がどこからともなく流れてきて、冬に向かって水の音も慌ただしい。
冬が苦手な僕は、春に向かって思いっきりジャンプした。




2011.10.18

第32号 古庄幸一氏は、人生の30%を海で過ごした

 古庄幸一氏は、わが国の海上自衛隊のトップに、いながら一流の画家でもある。美楽に10月からご執筆頂いている手前、先日も中華料理を、共に食した。温和な、ゆったりと話しぶりの中身は、わが国を取り巻く厳しい現実と直面してきた”実体的なエピソードばかりで”初耳の驚愕。
 いずれにせよ、戦後65年間平和を甘受してきた日本は、取り返しのつかない歴史的低落を迎えることに、なりそうな・・・・・悪寒。

 古庄さんから、大きな段ボール箱が届いた。ずっしりとした重荷の中身は数十冊の画帳。中には、半世紀を隔て黄ばんだ画用紙のノートから、今にも硝煙と海の香りが入り混じった大判の物もあった。
1ページずつ、ゆっくりと捲くり、捲るごとに、海から見た日本の入り江や、湾や、島や、遠くから眺めた半島のデッサンや、水彩画が描かれている。海上自衛隊の、船の中の人間模様や、滅多に見られない女性の姿がある。
 
 「波の上で、30年くらい過ごしましたよ」

 目的意識と義務感を持った職業人は、何かを掴みながら悩み、悔やみ、焦り、それでも耐えながら、それでも目的に向って仕事をする。

 僕の何グラムかの平和は、この人から与えられたものなのかもしれない。

 





2011.10.16

第31号 戸張さんとの仕事

 やはり戸張さんの仕事の進め方は合理的でスマート。考えてみれば、20年前、会社の上司であり、また、一人の男性として尊敬する人物でも在った。スピード感と開放感が、仕事のテンポを作り出す。

 テレビで御馴染みの”声”と、決して相手の目を逸らさないで話す表現力、独特の発想、そして実体験に基づいたキャリアー・・・・これらから滲み出るのが”オーラ”というのだろう。

 今日は、早朝から房総半島縦断のゴルフ三昧。マグレガーのコースにご招待を頂いて9ホール。その後、戸張さんを訪ねて、富士通レディスのトーナメント会場700に、マグレガーの佐谷さんと、友人の斉藤氏、元三菱電機の中島さんを連れて、お邪魔した。

 房総半島は、斑に覆われた雨雲のせいで、土砂降りのコースがあったり、
晴天のコースがあったりと、降雨量も”気まぐれ”。
 考えてみれば、ゴルフの試合ほど、ハプニングが起りやすいイベントもない。天候に左右され、コースに左右され、しかも20万坪の広大なエリアを掌握しなければならない。しかも時間が限られているので一瞬の判断が要求される。

 「リーダーは、止める(撤退)判断が、重要」
 僕が、最初に学んだのは、戸張さんの判断力の向こう側にある、無鉄砲さと、強引さと、そして正確な状況分析からくる”感”のよさだった。

 来年の春、久し振りに仕事が出来る。
 




2011.10.05

第30号 マグレガー佐谷社長のご招待で展示会へ

 マグレガーの佐谷社長とは、以前の会社で美楽をお世話になって以来の事。その空想的で、大胆で、一方マッチの寄木を集めて建築物を作るような緻密さは、職人芸的な経営を感じる。

 マグレガーの新製品の展示会は、新製品のコピーをほんの少しお手伝いをさせていただいた関係で、ポスターや、パンフの出来具合が楽しみで、お邪魔した。

 ゴルフ業界が、この50年、大量生産、大量広告、そして”何処か嘘っぽい”販売になって、いま、曲がり角。何処も同じであるが、次の市場は、中国、そしてアジア・・・やがて南米へと向かうのであろう。

 しかし、サッカーや、他のスポーツと異なり、ゴルフの発展の歴史には、人間の品と、ルールが、教科書や聖書のように絡み合っている。
ただ勝利すれば評価されるだけでなく、勝ち方や、プレーの品性や、コースの攻略法に見る知性が、問われる。

 マグレガーは、1897年以来、来年で創業115年。度重なる戦争と民族の独立と、資本主義の発達に伴う都市の変化の中で、世界的にも名だたるプレーヤーに愛され、慕われ、呪われ、嫉妬され、それでも決して迷わず、営々と、ギヤ(道具)を造り続けた。

 僕が、微力ながら、マグレガーの佐谷さんを手伝うと言うことは、大袈裟に言えば、ゴルフの歴史作りの、お手伝いをすることになる・・・・そんな緊張感が沸いている。

 商品を売るのではなく、ゴルフの歴史作りを手伝うのも、楽しみな仕事である。




2011.09.29

第29号  ピーターは駅前のギタリスト。

ピーター・ディクソンは、ラテンから、インド音楽、ジャズまで、弾きこなすギタリスト。ダブルネック・ギターで、表現する彼のテクニックは、どんな感情もメロディーに帰ることが出来るような腕前。普段は、通りがかりの音楽好きの数人が、並ぶ程度のストリートライブであるが、この夜は、20数人が、ピーターのギターの音色に引き込まれて、酔わされて、帰路に着けない。

 もし、、ピーターが、日本の童謡を奏でたら、どんな楽想になるのだろうと・・・考えるうちに、不思議と僕の頭の中には、詩が浮かんでいる。

 熱帯の海辺の家を、土砂降りのスコールが、撃ちつけている。椰子の葉が風に揺れて、寡黙な老人が、煙草に火をつける。老人は遠くの海を眺めている。停泊しているのは、錆びに色を変えた貿易船だろうか?
 老人は、遠く離れた異国の故郷を、思い出している。

「こんな感じの、詩はどうかな」ピーターに尋ねてみると、
「このメロディーに、そのまま詩をのせては?」と微笑んで食くれた。

 音楽が、どんな国境も、宗教も、民族も性も年齢も・・・障壁も越えていくように、ミュージシャンも風船のように心が軽い方が、いい。
 荷物を待たずに、ギター一本で、日本を訪れたピーターと、何処か縁を感じたのは、昔の僕を、見つけたからだろうか?




2011.09.21

第28号 上海のアンバランス

 歴史は街を造る。しかし、町の存在が、運命的に歴史を作るケースがあるように思える。
 そう上海は、いつも、毎日が歴史の中にある。今朝も、歴史が作られている。裏町に、期日を終えたマンション広告の不動産の看板が、無造作に立てられ、一方この町でさえ・・・失業した大陸内陸部の農民が、浮浪者になりビニール袋を枕に昼寝をしている。
慢性病のように、周期的に外国資本の影響を、受けやすいのは、国の政策なのか、この町の”癖”のような性格なのか?

この200年。落ち着かない歴史に、翻弄されるのは、揚子江の出口の海に近い地理的な場所柄から、諸外国の政治の舞台に使われやすいからであろうか?それとも、ここに、”住む竜の頭の数”が、中国のほかの町より、少し多く、隠微なのであろうか?

 人と街が、バランス良く機能しているかどうかは、そこに住む人々の顔に表現される。
 上海は、諦めを通り越して、どこかおっとりしている、すっきりしている長老と、金貨を収奪する強盗のような、バイキングたちが共存している。そこにある未来が、明と暗の間をフラッシュのように混乱する。この町で、どんな子供たちが育つのだろう。


 いい料理人と素材と器の様に,どこかしっくりと落ち着いて旅人にも安らぎ与える町がある。じっくりと弱火で煮込んだシチューのチキンのような深みと、釜で炊きだした米飯のような辛辣なエネルギー、もきちんと両立している町もある。
 フィレンチェや、金沢や、シェナンドーや、ロトルアでは、数週間のんびり凄し、深い睡眠を忘れ、毎朝寝坊をして、昼過ぎに朝ごはんを食べることもあった。そう・・・・震災前の日本のように。

 上海は、とにかく、今日一日をどう生きるかに、掛けるエネルギーが重要である。歩かない、休まない、笑はない、瞼を閉じない、・・・・。それが、上海と言う町の掟なのかもしれない。
 町は、肥大化し、そこに機能(インフラ)が追いつき、最後部を何億もの人間が走る。このアンバランスを、魅力的に思える資本家も、不眠不休で、滑走する。

 僕は、夜明け前に、ほんの僅か数分寝静まったフランス疎開を、ゆっくり歩いている。
 魚の骨を咥えた子供のカラスが別の大きなカラスに追われ、目の前を横切り、振り向くと教会の鐘が鳴り、高層ビルの上で、欠伸をした雲が朝を告げる。

 朝ごはんは、味噌汁が、飲みたい。

 





2011.09.20

第27号 月刊「美楽」10月号

『猫の三毛』
 曲がりくねった海沿いの道を、一日にほんの数本のバスが走っている。軽油の匂いを潮風がどこかに運んでいく。 
 さっきから、バス停の前に佇んでいる少年は、何の夢をみているのであろう。隣の町から迷子になってやってきた犬も、このバス停にくるといつもクンクンと鼻を鳴らしてないている。
 帰り道を探しているのを少年は気がつかなかった。
 電信柱の影が夕焼けに向かってずんずん長くなる秋の夕暮れ。





2011.09.13

第26号 上田正樹さんの”声(たましい)” 

 上田正樹氏が、会社に来ると、風が吹く。関西の風でもなく、ミシシッピーの匂いでもなく、上田さんの風が吹く。

 その風は、生き様や魂を、メロディーの載せて、詩に変えて、声に焼きつけて吹いている。貿易風のようでもあり、稲妻のようでもあり、突風のようでもあり、タンポポをのせた春の季節風でもある。

 風には、力がある、風には、向きがある。風には、重量がある。風には色がある。そして、風には思想がある。

 上田さんと、日本らしい風を、吹かせようと思っている。「大和風」。
その風が、日本全国の、山や、丘や、谷を吹きぬけて、川を過ぎて海を渡り、空に抜ける。雲になり、雪になり、雨にように、心に落ちる。

 そんな日が、来るような、胸騒ぎがする。

この日は、農林水産省の食堂の横の、会議室で、ミニコンサート。
彼の声は、風のように、場所を選ばないし、人を選ばない。
 音楽とは、そういうものなんだと、思う。

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