DIARY:夕焼け少年漂流記

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2012.08.08

第30号 新橋あたりの客引き中国人に、看板で・・・

 新橋あたりの客引き中国人に、看板が立てられている。
 何が書いてあるかというと、どうもこの辺りで客に声をかけて商売をしてはいけない・・・と書いてあるらしい。
 つまり、ポン引き中止の看板である。日本の飲食を含めた娯楽産業の年間消費額は、10兆円とも20兆円とも言われ、特に売春や賭博に関しては現金で取引されるため、正確な数字は定かではない。
 3千円で飲み放題と言われ、アンダーグラウンドな飲み屋に連れて行かれ、30万円を請求され、泣く泣くカードで払ったなどといういわば、犯罪に巻き込まれた人もボチボチ出現している。

 BOPという言葉は、ピラミッドの底・・・という世界経済の所得の構造でもあるが、つまり、ピラミッドの底にあたる年収3万円以内の人口層が、約20億人を締めている。
 新橋の美しい外国人女性に声をかけられ、数千円から数万円の酒を飲み、中には酔った勢いで「※※※」。深夜の春を買う日本人に対しても警告を促さなければこのような看板は、今後増える一方になるだろう。それどころか、やがて北京や上海やアジアのあちらこちらの繁華街で、日本語で書かれたポン引き中止の看板が乱立する時代が来る。




2012.07.23

第29号 日本航空学園の広告

 日本航空学園の広告を創りながら、やはり「モンゴル」だと思った。
 気分的に、訪れてみたい国だったモンゴルに出掛けたのは、大相撲がきっかけでもないし、チンギスハーンの映画を観たわけでもないし、ちょっとした胸騒ぎを感じたからである。

 月刊「美楽」の中に、1ぺージ程度の企画で、アジアの情報を提供すべき義務があると思い、ウランバートルへ出掛けた。 
 そのときにお世話になったのが、現在のモンゴリアンエアラインズ社の日本支社長のガルタ氏。ガルタ氏の紹介で結局は、日本航空学園の広告を手がけている。
 日本の航空会社は、考えてみれば、どこで人材を確保し、どのように人材を教育し、また人材は何が機会で転職したり、退職したりするのか、全く知らなかったのだが、この広告を創りながら、航空業界全体に関しても、学ぶべきものが多かった。

 国家の経済力、それに伴う文化、或いは、メディアとしての宗教、そして、人材の流通。これらは、どんなにインターネットが発展しても、交通インフラが伴わなければ、意味を持たない気がする。
 因みに、日本航空学園は1932年創業。今年で80年目を迎える。
 日本は、その間に2つの大きな戦争を経験し、船同士の戦いから、飛行機での戦いを通し、いまや核兵器と情報戦の時代になった。そして、日本においては、航空業界は平和な時代の象徴として、貿易や娯楽にのみ人材を必要としている。




2012.07.16

第28号 横浜倉庫の小紫さん

 横浜倉庫の小紫さん(社長)とは、かれこれ十年を越えるお付き合いになる。僕と彼には、現在でも誇れるある商品をプロデュースした実績がある。それは、いまやコンビニエンスやスーパーで当たり前のように並べられているいわゆる「キャラ弁」(キャラクター弁当)第一号の製作者だからである。

 このHPの読者の何人かは、記憶されているだろうが、今は亡きプロレスラー故・橋本信也選手の「びっくりカツどん」は数百万食を売り上げ、おそらくこの数字は、今日でもナンバー1であると思う。


 横浜倉庫の広告つくりをする上で、倉庫の中身は、在庫ではなく、未来に向かうべきものである、というコピーを持ち出すとき、ふと思ったのが、小紫さんらが日本の倉庫業の新しい価値を生み出してくれると感じたからである。




2012.07.02

第27号 ホーチミンの戦争証跡博物館

 ホーチミンの戦争証跡博物館を勉強しようと思った。

 朝、目覚めるとホテルは窓で仕切られて、快適なのだが、窓の下のホーチミンは、インドシナ半島独特のスコールが上がったせいで、かえってむしむしとしているのだろう。

 ホーチミンの戦争証跡博物館は、何故、「記念館」ではないのだろう。博物館というとどことなく、片っ端からモノを集めてきて、それを歴史や科学や思想で軸を作り、ただ並べたようにしか思えないが、記念館という表現を使うと、心に記すべき、という意味合いがあり、ぴたりと当てはまる。

 南シナ海に沿って、長いものように伸びたこの国に、資本主義国と社会主義国が入り込み、南北に分断し、結局のところ民族戦争という名の内乱が演出された。
 いってみれば、ヨーロッパの国々もそうであり、北朝鮮と韓国もそうであり、パキスタンもそうであり、日本も同じように2つに切り離されていたかもしれない。

 戦争証跡博物館は、たくさんの写真で構成されているかのように思う。世界のありとあらゆる博物館の中でも、この博物館は写真を中心に構成されている。その中にあって、一番時間をかけて見入ったのが、さわだきょういち先生の作品である。

 いまや時代や、動画から静止画に変化してしまったが、シャッターを押し続けるカメラマンの感性の集中は、フィルムを回し続ける動画の情報量と比べてもやはり怖いほどの殺気を感じる。
 
 一発の米兵の弾丸が、農民の頭蓋骨を粉々にしていく。無数のナパーム弾が一瞬にして、街すべてをケロイド状に焦がす。雨のように散布された枯葉剤が数え切れないほどの奇形児をつくり出す。利益を生み出すために、犠牲になるのは、現在でも同じ弱者なのである。





2012.06.26

第26号 ベトナムの自転車

 ベトナムの自転車は、川のように、雪崩れのように、僕を襲い掛かった。
 洪水のように、押し寄せるオートバイに目を取られていると、背後から色とりどりの商売品を満載した高齢の女性が、声をかけてくる。

「ニッポン…トウキョウ……ゲンキデスカ」

 僕は思わず、
「ホーチミンほど、元気じゃないよ」
と、呟いた。

 国家が高度に文明化し発展していくことで、そこに住む人間の具体的エネルギーは、反比例して劣化していく。加えて、情報が発展し、ありとあらゆる全身の五感を刺激すればするほど、知的エネルギーも疲弊する。
 
 ホーチミンは、まだまだ都市のエネルギーと敗北しない人間たちが生命という名のペダルを漕いでいる。







2012.06.20

第25号 月刊「美楽」2012-7月号

『紅い空』
 自然が奏でる無限の色彩のどれか一つの色に、心を浸透させていく。すると、まだらで猥雑化した自らの心模様も極限の原色に返っていく。
 少年は、夕焼けの紅を思い切り吸い込むと、肺の中が真紅になるのを感じた。
すると、日没前のオリーブ色の山並みがまるで花びらのように刻々と開き、うっすらと浮かんだ幾つかの星が花弁の中に吸い取られていく。

 我々人間は、心の中に無数の色鉛筆を持っている。





2012.06.15

第24号 パーコー麺


ザ・キャピトルホテル東急『ORIGAMI』


支那麺『はしご』

最後に、
瀬佐味亭 虎ノ門店






2012.06.08

第23号 ホーチミンの誇り

 ホーチミンの誇りは、どこの国でもあるような歴史や文化やましてやノーベル賞受賞者の数ではなく、20世紀に入ってから津波のように押し寄せてきたフランスや中国や日本やアメリカなどの外的を、農民の知恵と工夫で粘り強く排除したその理性と体力である。

 延々と街を占領する無数のオートバイの川や、粘り強く何時間もの工芸品を生みだす指先。テレビの観光ガイドは、薄っぺらな紙のように表面的な映像を垂れ流しているが、戦争証跡博物館に張り出されたベトナム戦争の写真の数々が”悲しい誇り”となってベトナムの底辺を支えている。

 麦の穂のようなたおやかな肢体をオアザイで包み込みながら、タマリンドの花が濡れる歩道を歩いていく。彼女たちがこの国のエネルギーとなっている20歳代だとすると、彼らの両親のほとんどはあのベトナム戦争の砲弾の下を潜り抜けた戦争経験者である。

 1975年に独立して早くも40年が過ぎた。日本の場合、1945年の敗戦から40年過ぎた辺り、つまり、1985年に経済はバブルの頂点を迎えたとするならば、あと数年後にこの国も中国が散布する巨大なマネーによってバブルを迎えることになるのではなかろうか。

 しかし、日本との根本的な違いは、「ベト民」が自らの力で勝ち取った独立という誇りを今も現実のものとして持ち合わせていることである。






2012.06.05

第22号 アイ・ジョージさんの「夜霧のジョーニー」を聴こう

 アイ・ジョージさんに久しぶりにお目にかかった。
 数年前に何度かミーティングをしたときは、世界の子供たちを救うためのチャリティーソングを企画されていた。その企画は、莫大な予算と共にスティービー・ワンダーを始めとするビッグアーティストが多数登場するために、かなりの時間がかかり、現在もその企画は続行中とのこと。

 
 昭和20年代の後半にラジオとテレビがメディアとして普及し始めた頃の歌手は、現在の歌手と違い、歌もうまかったし、声も良かった。
 レコーディング段階で当然デジタルやコンピューターなどは存在していなかっただけに、音感もリズム感もしっかりした歌手でなければレコード会社のほうも評価しなかったのであろう。
 そんな本物の歌手しか存在しなかった時代に、中でもアイ・ジョージさんは群を抜いて声も良かったし、歌唱技術も素晴しかった。
 「最近になって、以前よりまして喉の調子がいいんですよ」
 と言いながら、録音したばかりのデモCDを、聴かせてくれた。
 確かに、以前より喉の奥が開き、鼻から吸う息もリズミカルだし、何よりあの頃の低音にさらに磨きがかかっている。
 こういう本物の歌手を評価する国でなけでば、日本の文化も評価されない。

 アイ・ジョージさん。79歳。世界で通用する日本の歌手として、一層元気である。




2012.05.21

第21号 ブリストルヒルゴルフクラブという困難!

 ブリストルヒルゴルフクラブにそっと出向いてみた、このゴルフコースの
 広告は、良くある美しい緑のコースの写真を、背景にしたくなかった。
   というのも、ブリストルヒルズに始めて訪れた日に、えらく苦労し
 18ホール周り終えたときには、”敗者の肩に雨が降る”状態であったの だ。

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