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2013.09.06
第29号 MKマガジン-2013年9月号
MKマガジン-2013年9月号
2013.09.03
第28号 上田正樹「美楽」実演会
上田正樹さんの実演会(いわゆる、ライブコンサート)は、美楽の6回目の実演会となる。
上田さんの声ほど、生で聞いてもらいたい歌手はいない。涙がとけ込んだようなかすれた声。その場の情感に合わせて歌い回すメロディ。言って見れば、同じ歌など二度と聞けない上田さんの実演である。
今回は、現在二人で制作している「壊れゆく日本の歌たちへ」というアルバムの中から、永六輔さんの「遠くへ行きたい」をはじめ、昭和30年代に流行したまだ日本語や詩や言葉がきちんと使われていた時代の歌を歌ってもらう。
上田さんには、月刊「美楽」に毎月執筆して頂いており、このコンサートではその原稿を1冊にまとめたものを「蒼心情歌」をご来場の皆様にお土産にして頂こうと思っている。
「蒼心情歌」には、上田さんがなぜ歌を歌うのか、また、歌いたい歌は何なのか、そんなことが書いてあり、普段滅多に自分のことを話さない上田さんの気持ちのあり方がよく書いてある。
2013.08.30
第27回 ポール・マッカートニー来日 11月18、19、21日東京ドーム
ポール・マッカートニーが、11月18、19、21日東京ドームに来日する。
思い出すのは、1994年の福岡ドームのコンサートである。当時、ダイエーの故・中内功会長の鶴の一声、開業したばかりの福岡ドームの名前を世界に広げたいということで、マイケル・ジャクソンを皮切りに、ポール・マッカートニー、サイモン・ガーファンクル、マドンナ、さらには、ホイットニー・ヒューストンなどの地球規模で活躍するアーティストを招聘した。
ポール・マッカートニーが来日するという話を聞いて、真っ先に思い浮かべたのは、中内会長とキョードー東京の故・嵐田会長の顔である。二人とも違った仕事ではあるが、戦後の日本に元気と勇気の花を咲かせた。僕にとっては、英雄である。
あの日、福岡ドームの周辺には、何万人ものマイケルファンがスタジアムの周辺に輪を描くように並んでいた。
リハーサルを終えて、客入れの前の静寂の中で、無数のスポットが点滅する巨大なステージの上に二人をご案内した。これから始まるステージは、福岡ドームのまさに世界への第一歩という予感に満ちていた。
それから20年近くの日々が過ぎ、もしできることなら、中内さんと嵐田さんと一緒にポール・マッカートニーの最終公演に出掛けたいものだが、マイケルも含めて、あの日の英雄は、もういない。
・・・・・・・・・・・・・・・。イエスタデイ。
2013.08.25
第26回 MKマガジン-創刊
MKタクシーの車内で配布する月刊誌を作りはじめた。
MKタクシーには、月刊「美楽」が創刊して以来、大変お世話になっていて、今では全国のMKタクシーの中に「美楽」を乗せて頂いている。
1日1台のタクシーに十数人の乗客を乗せているということもあって、例えば東京MKでは1日4000人から5000人、年間で100万人以上のお客様を運んでいることになる。
この規模になると、既にメディアとしても、大きな媒体力を持ち、その意味でこのMKマガジンは、社会的にも大きな意義があると思う。
東京オリンピックが開催されたり、今後、日本が世界的にも観光立国となる上で、タクシーの役割はただ目的地にお客様をお運びするだけでなく、重要な役割を持つ発信者として位置づけられるであろう。
2013.08.20
第25回 月刊美楽2013年9月号
白鵬氏
月刊美楽に連載して頂いたお礼に、横綱になったばかりの白鵬氏に一席お付き合い頂いた。筋肉をつけて頂こうと思い、鉄板焼きにご招待した。そこそこの肉を10キロほど用意しておいたが、横綱は意外と小食でほんの数百グラムを頬張っただけで、残りの肉は、若い付き人が軽くたいらげた。
ワインで少し打ち解けた横綱は流暢な日本語で、相撲の世界の姉弟関係や人情や義理などのあり方を話しながら、ゆっくり天を見上げた。
故郷のウランバートルの事を、思い出したのだろうか。
2013.08.10
第24号 上田正樹さんのオリックススタジアムライブ
上田正樹さんのオリックススタジアムライブを猛暑の中、プロデュース。
かねてより野球と音楽、相撲と食事会、サッカーとコンサートなど、大きなコンテンツ同士が合体(コラボレーション)してみるのも面白いと思っていた。
例えば、アメリカのボクシングの世界タイトルマッチは、ラスベガスのホテルで、豪華なディナーを食したあとで、血なまぐさい男の戦いを見る・・・なんて。
三万人ちかい野球ファンが、試合を見終えた後、今度は一服して夕焼けの中で音楽を聴く。この流れの中に不自然さはなく、かえって気持ちは高揚するのではないかと。
数千人の中で、上田正樹さんの声が外野の壁や、スコアボードや、ドームの屋根に跳ね返り、響いている。ここは、大阪。「悲しい色やねん」が別な意味を持って、ピッチャーズマウンドのあたりから弾けていく。
2013.08.01
第23号 Speachesという音楽家たち
Speachesという音楽家たちと何かしようとしている。
音楽は、子供の頃から言ってみればおもちゃのように僕のそばにあったし、好きや嫌いという次元ではなく、まるで御菜のように色々なアーティストや曲を聞いてきた。
それにしても、所詮たまごのからの中の黄身が、変わる程度のアレンジしか感じないという気持ちは、ずっと続いている。その意味で、車や家電などの方が、実は音楽よりはるかに、革命的に進化しているように感じる。
なぜ譜面があるのだろか。もっと面白い楽器や音は、ないのだろうか。もっと斬新な言葉はないのだろうか。見たことのないような音楽家の構成はないのだろうか。そんなことばかり考えている。
Speachesを紹介したI氏は、航空業界のイノベーションを果たしている。彼の希望に叶うためにも、かなり変わったプロデュースをしようと思っている。
今の音楽家たちは、未だにベートーヴェンを超えられない。
2013.07.10
第22号 ルネがPeachに接吻した!
昭和30年代の中頃、脚光を浴びた内藤ルネ氏(没)のイラストのモデルでもあるルネと、ピーチ航空が10月27日の成田就航キャンペーンの共同記者会見を開催した。どことなく不安材料の多い現在の日本において、ピーチ航空は誰もが知っている挑戦的な会社で、バイタリティに溢れている。ある意味で、これはピーチ現象とも呼ばれるもので、昭和30年代の高度経済成長のときの日本の元気を未だに内在しているかのようだ。
従って、内藤氏のイラストの力強さや自由奔放さが、今のピーチ航空とぴたりとはまっているのだ。10月の初旬からルネのイラストがピーチの機体にラッピングして空を駆け抜ける。
2013.07.01
第21号 Peaching創刊準備号
ピーチの広報誌の制作・監修をさせて頂いている。この仕事が、すこぶるためになり、勉強になり、刺激になり、楽しい。
というのも、井上社長の発想が実に大胆で、おおらかで、発展的で、幻想的で、とても並の経営者の常識をはるかに超えているからだ。ということで、本来の創刊号は、9月を予定しているのだが、それまで創刊準備号なるものを制作することとなった。準備号は、全部で3号あり、大人向け、女性向け、そして、広報誌とは思えないほどクールなものと、3種類つくることとなった。
ピーチの帰港地である関西空港をはじめ、札幌、仙台、広島、福岡、長崎、鹿児島、沖縄、石垣、香港、ソウル、台湾の空港カウンターで配布している。
僕がプルデュースする以上、この世になかったようなメディアを創造したい。
2013.06.20
第20号 月刊「美楽」2013-7月号
山中教授
山中伸弥氏のノーベル賞は、日本国民にとって、誇りや自信を取り戻す。言って見れば、強烈な点滴となった。そして、私たちはその結果だけに注目しがちだが、プロセスに隠された意志の強さと努力、スタッフとの協力体制も並大抵のものではないのであろう。
私たちはこの十年、簡単に物事の評価を決めつけるようになってしまったが、プロセスにも少し目をやらねばならないのであろう。
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