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2014.02.20
月刊「美楽」2014年3月号
さだまさしさんは、霧の中で満開の咲いた桜のような人だ。
見えているようで、その美しい姿は、見えにくい。詩人というよりは、あらゆるものから感じ取った心の中を映像化して詩にしたり、文学にしたり、映画にしたり、言葉に変えたりする。
儚く、散りそうな、消えていきそうな、命の瞬間を一瞬にして捉える写真機のようでもある。
出逢えて良かったと思う。私の人生の崇高な樹液のようである。
2014.02.10
麻布十番の塩屋
ハワイ産の塩を日本中で普及する仕事を依頼されている。
人類はかつて塩で戦争をし、塩で国家を反映させ、塩で健康を維持し、塩で病に倒れ、塩で悪魔を祓い、塩で厄をつくり、塩で料理を作った。塩の役割は、無制限である。
日本は海に囲まれた島である。それだけに、塩に不自由することはなかったが、科学方式で塩は作れるようになってから、どうも天然自然の塩とは縁遠くなってきている。モンゴルの塩から、ペルーの塩まで、塩は世界中に数千種類あると言われている。塩の役割も数千種類あるように思う。
2014.02.03
東京都知事選
東京都知事選挙が突然行われている。任期の途中で、しかも、金銭トラブルで知事を降りるという、根本的な事件の拝命や究明されていない状態の中での選挙である。
いずれの候補者も準備不足で、スローガンもマニフェストも熟していないみかんのよう。
常々思うのだが、立候補者ご本人が数字に弱いのか、それとも有権者をばかにしているのか、とにかく数字やデータが全くない。東京都の税収、東京都の予算、それらが項目別にどう使われているのか、都庁の職員15万人がどう動いているのか・・・いずれにしても、具体的な数値目標がないと意味がない。
選挙戦の途中で、厳寒の東京に大雪が降った。ここぞとばかりに、冷たい風の中で、頑張る姿勢を見せている各候補者は、東京都民の本当の願いが理解出来ていないように思う。投票率を低くしているのは、浮世離れした都民でもあるが、候補者の曖昧な主張でもある。
2014.01.27
第4号 徳川将軍家霊廟
徳川将軍家霊廟が増上寺で拝観できる。
いわゆる、徳川幕府は、泰平260年と言われているが、その間、15人のトップで維持された。高齢社会を迎えた我が国であるが、僅か8歳でなくなった7代目将軍家継を筆頭に、40歳から50歳で生涯をとじている。
今でいう働き盛りで、この世を終えているわけであるが、その中でも、現在であっても長寿の将軍が二人いる。ご存知の通り、1代目の徳川家康・75歳と徳川幕府の最後を担った15代目の慶喜・77歳である。
世襲制を重んじてきた徳川幕府の1代目と15代目が奇跡的に長寿なのは、どこか不思議な気がしてならない。
都知事選が行われているが、月刊「美楽」がお世話になっている候補の細川護煕氏の76歳。徳川家康と同級生であるが、まだまだ頼もしい存在である。
2014.01.14
第3号 愛車主義2014
月刊「美楽」で、連載して頂いているカーコンビニ倶楽部代表の林さんの原稿を束ねて、別冊化し、『愛車主義2014』を制作した。
林さんはこの中で、車社会と人間社会に対しての様々な課題を探し、色々な角度からその解決策を提案している。考えてみれば、まるで水道の水のように、空気のように、いつの間にか車は人間の生活の中に入り込み、時には有効に、また交通事故のように人間にとって負荷になるときもある。
よく言われるように、人間の作り出すものはいつもプラスになるとは限らない。その周辺に携わる人の道徳観と知性によって、あるいは愛情によって、すべての道具はその価値を発揮するのである。
この『愛車主義2014』にはそんな林イズムが描かれている。
2014.01.10
第2号 日刊ゲンダイ新春号
日刊ゲンダイの新春号で、Peach航空の取材をしてもらった。
縁とは面白いもので、取材班をまとめてくれるライターは、なんと美楽でお世話になっている和田さん。
「安」「早」「理」で圧倒的に、他のLCC各社を引き離して、人気一番のピーチであるが、取材内容も一泊二日で、安くて、正確で、合理的な台湾ツアーである。
井上社長は、この飛行機のことを空のバスと自らおっしゃっているが、まさに目的を定めた観光ツアーにはピーチはうってつけである。
ゴルフ、釣り、美術館、博物館、マッサージ、エステなどは、目的が絞り込まれているだけに、バスに乗る気分でピーチ航空を利用する人が多い。中には、故郷に病身の父親を3年振りにお見舞いに行った大学生もいると聞いている。つまり、高齢社会の日本で、東京や大阪という言って見れば仕事場から故郷に帰る介護という側面も大きく持っている。
ピーチが1月18日にいよいよ高雄に飛ぶ。
驚かないでください。片道料金は、118円である。
2014.01.03
第1号 芝大神宮へ新年の挨拶
芝大門の信号は第一京浜が走っているので、この参道は第一京浜から数十メートル直結していることになる。通常の神社は、神様を休めるために鬱蒼とした濃い緑に囲まれているのだが、芝大神宮は居酒屋や焼き肉屋、そば屋などの飲食店に囲まれているため、よほどセルフコントロールのきいた神様がやどっている。
そういえば、参道は神様が歩く道でもあるのだが、よって必ず玉砂利が敷かれている。石畳から100段近い階段を昇り、拝殿を拝む事になる。水舎利で手を清めようと思ったら、正月で沢山の人がいるため、そのまま拝殿に向かい、賽銭箱の前で目を閉じた。
今年もたくさんの日本人が神社を訪れますように。
たくさんの日本人が、自分一人で生きられないことを悟りますように。
2013.12.20
第41号 月刊「美楽」2014-1月号
『坂東玉三郎』
玉三郎氏ほど、ストイックで勤勉な芸能者は見当たらない気がする。佐渡島の鬼太鼓(おんでこ)との共演の仕事を手伝わせてもたったことがあるが、この芸術家に完成という言葉もなければ、満足という言葉もなければ、ましてや妥協という言葉も存在しない。同世代を生きるものとして、フロントランナーというよりは、“永遠にたどり着けないゴール”のような存在である。
芸の修練もせずに、ぶらぶら街を出歩いたり、マスコミに登場するのを楽しんでいる役者とは格違いどころか、別の世界で輝いているのである。
2013.12.15
第40号 エムケイマガジン2013年12月号
エムケイマガジン2013年12月号
2013.12.05
第39号 大原美術館
大原美術館に顔を出した。
岐阜羽島に行く途中と言うと変なのだが、月に1回お邪魔する深層水マハロの打ち合わせに行く際に、新幹線の二時間ほど余分に乗り、岡山駅から倉敷に足を運んだ。
ご存じのとおり、倉敷紡績の経営者だった大原孫三郎が友人の児島虎次郎の審美眼に、西洋の印象派の絵を集めるように依頼した。19世紀後半から20世紀前半までに、パリやブリュッセルの画廊を歩き回り、現在では誰もが、名画といわれる名画の数々をこの倉敷に持ち込んだ。
飛行機もなかった時代に、児島は大原に何通もの筆をしたため、その都度、購入資金を送らせては、今となっては奇跡に近い美術品の数々を集めた。
晩年、画家としても東京美術学校(現在の東京芸術大学)でも代表される腕前の児島は、この美術館の裏手の山にアトリエを建ててもらった。スポンサーと芸術家が一対になって、美術館というさらに大きな作品を描いたともいえる。
1932年、アメリカのリットン調査団が、この倉敷を訪れ、大原美術館の名画の数々に度肝を抜かれたといわれている。そのせいかどうか、第二次世界大戦にとって、倉敷に空襲がなかったと言われている。日本の明治時代にパリのモンパルナスにモディリアーニや、ピカソ、マチス、モネ、マネなどの芸術家が住み、夜な夜なお互いの作品を批評し、賞賛し、罵倒したといわれている。その中に、日本を代表する藤田嗣治も才能のある人気者として君臨していたことを考えると、芸術に国境はないとこれほど痛感した日もなかった。
足早に新幹線の駅に向かい、後ろ髪をひかれながら、もう少し留まりたいと思った。
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