2012年6月26日 | 2012年7月16日
2012.07.02
第27号 ホーチミンの戦争証跡博物館
ホーチミンの戦争証跡博物館を勉強しようと思った。
朝、目覚めるとホテルは窓で仕切られて、快適なのだが、窓の下のホーチミンは、インドシナ半島独特のスコールが上がったせいで、かえってむしむしとしているのだろう。
ホーチミンの戦争証跡博物館は、何故、「記念館」ではないのだろう。博物館というとどことなく、片っ端からモノを集めてきて、それを歴史や科学や思想で軸を作り、ただ並べたようにしか思えないが、記念館という表現を使うと、心に記すべき、という意味合いがあり、ぴたりと当てはまる。
南シナ海に沿って、長いものように伸びたこの国に、資本主義国と社会主義国が入り込み、南北に分断し、結局のところ民族戦争という名の内乱が演出された。
いってみれば、ヨーロッパの国々もそうであり、北朝鮮と韓国もそうであり、パキスタンもそうであり、日本も同じように2つに切り離されていたかもしれない。
戦争証跡博物館は、たくさんの写真で構成されているかのように思う。世界のありとあらゆる博物館の中でも、この博物館は写真を中心に構成されている。その中にあって、一番時間をかけて見入ったのが、さわだきょういち先生の作品である。
いまや時代や、動画から静止画に変化してしまったが、シャッターを押し続けるカメラマンの感性の集中は、フィルムを回し続ける動画の情報量と比べてもやはり怖いほどの殺気を感じる。
一発の米兵の弾丸が、農民の頭蓋骨を粉々にしていく。無数のナパーム弾が一瞬にして、街すべてをケロイド状に焦がす。雨のように散布された枯葉剤が数え切れないほどの奇形児をつくり出す。利益を生み出すために、犠牲になるのは、現在でも同じ弱者なのである。
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