2012年6月5日 | 2012年6月15日
2012.06.08
第23号 ホーチミンの誇り
ホーチミンの誇りは、どこの国でもあるような歴史や文化やましてやノーベル賞受賞者の数ではなく、20世紀に入ってから津波のように押し寄せてきたフランスや中国や日本やアメリカなどの外的を、農民の知恵と工夫で粘り強く排除したその理性と体力である。
延々と街を占領する無数のオートバイの川や、粘り強く何時間もの工芸品を生みだす指先。テレビの観光ガイドは、薄っぺらな紙のように表面的な映像を垂れ流しているが、戦争証跡博物館に張り出されたベトナム戦争の写真の数々が”悲しい誇り”となってベトナムの底辺を支えている。
麦の穂のようなたおやかな肢体をオアザイで包み込みながら、タマリンドの花が濡れる歩道を歩いていく。彼女たちがこの国のエネルギーとなっている20歳代だとすると、彼らの両親のほとんどはあのベトナム戦争の砲弾の下を潜り抜けた戦争経験者である。
1975年に独立して早くも40年が過ぎた。日本の場合、1945年の敗戦から40年過ぎた辺り、つまり、1985年に経済はバブルの頂点を迎えたとするならば、あと数年後にこの国も中国が散布する巨大なマネーによってバブルを迎えることになるのではなかろうか。
しかし、日本との根本的な違いは、「ベト民」が自らの力で勝ち取った独立という誇りを今も現実のものとして持ち合わせていることである。
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