DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2016.08.22

月刊「美楽」2016年9月号 発刊しました

立花 隆(出身地:長崎県長崎市)

「知の巨人」のニックネームを持つ立花隆先生は、学生時代に、私が以前勤めていた会社でアルバイトをしていたと聞いてから、尊敬するだけでなく、どこか親近感を覚えている。
 昨年亡くなった日刊ゲンダイの川鍋社長とも縁があり、当然ながら戦後の日本が生んだ最強のジャーナリストであり、文筆家でもある。「田中角栄研究」、「日本共産党の研究」をはじめ、一貫してその著作には人間の生と死が底辺に流れている。
 最近テレビで拝見したが、以前にもまして、優しい目になっておられるように感じた。





2016.08.22

神宮花火大会2016

 台風の来襲が9.10.11号とまとめて3本。
 そういえば、以前も似たような記憶がある。
 国立競技場で、梅雨の間とは知りながら、「三大テノール」をプロデュースしたことがあり、その時は、約7万人近いお客様に1枚、7万円というチケットを買っていただいたこともあり、梅雨の雲の動きに体の全神経を持っていかれた。

 今年の花火大会も数日前から、気象予報図とオフィスのベランダから見る雲の動きばかりを追っていた。当日の朝、目覚めると、予想を上まわる土砂降り。
 しかしながら、日本近郊の太平洋の海水の温度が上がっているため、雲が大きな煎餅のように塊、お陰で、時速25キロと自転車並に早い。
 午前11時に、日刊スポーツのスタッフに電話をし、花火大会の決行をお願いした。数十万人の都民の期待をのせて、やがて青空は曇り空に変わり、それでも後ろ髪を引かれるように、通り雨が何度も何度も花火を見る観客席を濡らした。
 花火の前に幾つかのコンサートが開催され、アーティストは、びしょ濡れになり、楽屋に駆け込む。スタンドのお客様も雨をしのぐために、席を離れて花火が打ち上がるのを待っていた。19時過ぎに、一度花火が上がると、神宮の空は美しい絨毯のようになった。上空を覆っていた雲も、その模様の中に吸い込まれていった。