DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2010.09.14

第44号 シンガポールの憂鬱と未来

 シンガポールは、近くて遠い街。以前の会社のご褒美旅行で3度ほど訪れたのは、セントーサ島にある海沿いのゴルフコースとグッド・ウッド・パーク・ホテルの先にあるニュートン・サーカスで食べるブラックタイガーの炙りが目的だった。

 沖縄の澄んだ青い海の横のスタジオで長期滞在して、親友の照屋リンケンさんとレコーディングして以来、なにも遠方のアジアの果てまで行くこともなく気分は解放されるし、まして故郷の鹿児島には年何回も帰京しているのだから、余程の事情でもない限り南シナ海の周辺の町を訪ねることはないと思っていた。
 そうこうしているうちに、20年程月日が跳んだ。

 今でも飛行時間は7時間。海外への移動の飛行機の中では、ほとんど酒を飲むことは無いのだが、午前発の便に飛び乗ったので夕方まで、退屈に身が持たないと思い白ワインを口にした。
 モンゴルは勿論北京よりも上海よりも、マニラよりもハワイよりも遠い。しかしその人口500万人の小さな町に、世界中の金融と情報と、人材が集っている。蒸し暑いアジア最南端のこの街は赤道の斜め下にある他の都市とは異なり”知性がのんびり昼寝”をしている。
 ラッフルズ・ホテルには、未だにへミングウェイのシガーの香りが漂っているし、アガサ・クリスティの奇妙な殺人事件のミステリアスな予感もする。

 翌朝、とにかくオーチャード・ロード(銀座の中央通りだね)を歩いてみたかったので、早起きして噴出す汗を覚悟で、街に飛び出した。椰子やバーミヤンなどの熱帯林が、横断歩道やビルの壁面に絡み、街の隅々の小さなスペースには原色の花が綺麗に植えられている。
シンガポール芸術大学や、大きな教会や、露店で売られている原色のジュースは、今でも変わらない街の雰囲気を保っている。
 
 巨大なコンベンション・ホールとホテルとカジノの上に空中公園を演出したマリナ・ベイほどの施設は日本の何処にも見当たらない。これが、今世紀を牛耳る華僑のパワーと、政党政治に終始して国際化に遅れた日本との差を象徴しているかのよう。まだまだ、未完成のこの施設は、既に観光名所として世界中からVIPを集め、プレゼンをしている。

 そう言えば、亡くなられた加藤和彦さんの、「シンガプーラ」と言う曲(歌)に触発されて、
「西、東、インド会社・・・その歴史を秘めながら」というフレーズにも強く惹かれていたように思う。
 街行く人は、若く、知的で、眼鏡をかけている人が多い。市の条例で厳しく規制されているので喫煙者は、隠されたように放置された灰皿を見つけ一服するしかない。・・・・・そう・・・・電子スモーカーは用のない街ななだ。

 今年の夏は”あの暑さ”で、極端にゴルフの回数が減った。
なのに、ラッフルズ・ホテルが運営する「ラッフルズ・カントリー・クラブ」に、顔を出した。赤道直下40度以上あるかな。
 レンタル・クラブで征服できるほど甘いコースでは無く、コースの中は、無人に切り込まれた小川と、池と、湖で、たちまち玉がなくなった。
 しかも、このクラブは、20年物の、パワービルトでメタル製。
風も無く、芝生から揮発する熱気の中で、朦朧としてプレーを終えた。

 帰り道が、ひどく、遠く感じられた。