DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.08.01

8月1日(金)飯山コーポレーションの勝山社長のゴルフ・コンペのご招待で軽井沢に来ている。この街を最初に訪れたのは、確か20数年前の冬に近い秋だったように記憶している。


 前の会社の同僚と4人で、まだ完全に繋がっていなかった関越自動車道路を抜けて、地図を開きっぱなしにして(ナビゲーションなんてない時代)、迷いながら、しかも深夜に車で何時間もかかって辿り着いた。
 霧と、雨で視界が狭くなり、心細い思いで長時間運転したせいですっかり疲れきっていたのだが、あの頃はまだ若くて体力があったせいか、ログハウスで30分仮眠しただけの徹夜に近い状態で,翌朝いきなり24ホールをプレーした。


 それから何度か軽井沢を訪れるのだが、この街の記憶はいつも峠の霧のように曖昧で、ぼんやりとした透明感のみが残り、ただの過去の時間の断片になってしまう。


 さだまさしさんにしては珍しく、ロック調で書かれた歌の中に「軽井沢ホテル」という僕の好きな歌がある。完璧に軽井沢の情景を表現した詩を、あの澄んだ声でシャウトするサビが、突き刺すような説得力を持っている。

「女は自分が不幸だと思ったときに、別れた男を思い出すと聞いた・・・・
それならばずっと、この恋のことは、思い出さずにいられたらと・・・・
僕は、祈ってる・・・・・・軽井沢ホテルで別れた・・・・」


 浅間山を抱く標高1000メートルのこの街は、亡くした恋を完全に葬り去るのになぜか向いている。酷く淋しいのだけれど、さっぱりとした清清しい新しい風が流れている。それが複雑な気分を洗浄してくれるのは何故だろう。


 一般的に、失恋(ロストラブ)の場合、女性の方が淡白で、なくした恋をいつまでもくよくよ思い出すのは男性の方である。たんに喪失感だけでなく、プライドが傷つけられたり、独占欲を刺激されたり、ロストの中身が感情的な分だけ尾を引くからである。


 軽井沢は、どちらかというとオトコの癒しの場所のような気がする。