DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.12.04

12月4日(水)青山のレストラン「シェ松尾」に無理をお願いして、閉店時間にもかかわらず、午後の紅茶とケーキをご馳走になっている。

 誰もいない応接椅子に腰掛けてぼぉーとタバコを燻らせる。近所のレストランは昼休みのOLが食後のお茶を楽しんでいるのか、まだ混み合っている。


 先週、英国製の新車が納車になった。青山通りの紅葉した街路樹の下に車を止めておくと、青いメタリックのボディーに黄色い銀杏の葉が4枚、5枚とあちこちに向きを変えて落葉し、ボンネットに秋のデザインを施してくれる。さらに目を細めて、それを画用紙の大きさに切り取ったイメージで眺めていると幾何学的なアートが、“瞬間的に誕生する”。銀杏の葉っぱがひらりさらりと舞い落ちるたびにそれが未完成の音楽のようでもあり、目的の定まらない人生の面白さの様でもある。役割を終えたはずの落葉は、12月の風を受けて、新鮮なデザイナーに変身した。


 「私は、おっちょこちょいだから今までの人生ってミスばっかりしてきたの」何かを話したかったのか突然、女性は話し始めた。

「そんな風に笑いながら「イママデ」という単語を使われると、何か今までの君の過去の人生全体を否定しているようで、寂しくなるよ。」

「だって、最近自分が今持ってる大切なものすら全部要らないって思ったりもするのよ」

「明日とか、将来とか必要以上に考えすぎると、みんなそういう考えが起きるんだよ。現在から先のことは、みんな空想と冒険の世界だからね。ちょっと体の具合が悪かったり、嫌なことがあったりで精神状態が悪かったりするとね、余ほど元気なとき以外は明日以降のことを考えすぎると、不安の雲がだんだん大きく広がって来るもんだよ」

「ゼロからやり直せないかしら」

「もう君は人生って言う山登りを始めちゃってるんだからね。今ある荷物は、全部役に立つ。いざという時にはプラスに働くものだって考えたほうが自然だよ」

「それって、東さんがあんまり苦労してないから言えちゃうのよ。それに自信家って言うのかなぁ・・・・・・・・」

「違うよ。僕の方が、少しは先に山登りを始めたからね。今6合目あたり。まだ君はやっと2合目あたりって気がするよ」

「苦労ってわかんないなぁ。苦労ってなんなの。それ相対的なもの。個人的な絶対的なもの?気の持ち方でなんとかならないの。それとも2合目の私はまだ苦労を知らないのかなぁ」

「気の持ち方で少しは楽になるかもしれないから、取りあえず頂上に向うんだって決めちゃえばいいよ。苦労ってのは後から気が付くことの方が多いよ。“あれは大変だったなぁ”“よく乗り越えられたよね”って自画自賛するようなものだよ。・・・・・きっと。」

「じゃあ、そろそろ山登りの時間だわ、家に帰らなきゃ。またね」


 年の暮れになると、いつもこの様に何か雲の上に居るような酸素不足の会話が多くなる。人はこの時期になると山登りをする旅人が自ら辿ってきたルートを確認するように、一度背負った荷物を路傍に降ろして、今年あったことを振り返りたくなるのだろう。


 去って行く女性の白いセーターにはらりと銀杏が舞い落ちた。月並みな表現だが青山通り一帯がルノアールの絵のように滲んでいく。その額縁から突然ふわりと君が消えてしまうような気がした。
新車のエンジンの音が、思ったより静かなことに気が騒いだ。