DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.11.15

11月15日(金)午前3時。誰もいない知らない街の外灯の下で車を止めて「クエッション(新曲)」の仮歌を聴いている。

 作曲活動はスムーズだが、作詞の方が一行に進まない。詩を書くために頭の中を、やや感傷的、情緒的になるようにコントロールしているせいか理屈では判っているのに、気持ちの整理が付かないことが多い。中途半端な心の状態でいることが今の僕にとっては一番の“安らぎ”なのだ。


 誰も来ない見知らぬ町で、こうして音楽を聴いているとふいに川の音が聞きたくなった。川がゆっくりと流れるのを見たくなった。ただ“海に向かう”ということしか、それ以外は何も行き先もわからない、そんな単純な大きなうねりに心を任せたくなった。“自然な心の動きを”感じたくなった。多摩川の土手に着くと、何故か車のトランクから7番アイアンを取り出し、深いラフから向こう岸に向かって球を打った。闇の中で妙な力身が入らなくて、いいショットだった。


 アルファ・オメガの社長の佐々木君が早稲田大の卒業論文で「大脳生理学における右脳の活性化」をテーマにした。どうも彼の実証的な話によると小説や詩などの作家は執筆活動に集中できるような頭脳環境を作るのに10日間を要するらしい。日常の雑事から開放され10日。漸く、創造的なやる気と、“空白の中から空想の元素”が生まれるのだろう。しかし今の僕が10日間も、スケジュールをOFFにするのは不可能に近い。そこが職業にしていないものの辛さでもあり、趣味で音楽をしたものの贅沢な僻み(ひがみ)でも或る。


 「クエッション」がほぼ完成したので、2曲目の「記憶」の作詞をしている。愛はいつの間にか普遍化し、やがて日常の中で“給料”や、“買い物”、“食事”や、“掃除、洗濯”に姿をかえる。そうなると愛が芽生えた頃の、誰かに対する心の動きを思い出すのは不可能に近い。当時の面影もない相手も、同じ感覚だろう。二人とも姿形を変えている。そんな乾燥した毎日の生活を「これも人生」と諦めるのか、何か物足りずに再び「恋探し」を始めるのかは、人生に対する個人のエネルギーの量に掛っているように思う。


 「記憶」という歌は、少年時代・・・・・・“恋を恋したころの心“を探しに出かけるコツを歌にしようと思っている。


 川べりの靄の中に止めた車の室内温度が下がってきた。夜明けが少しずつ近づいている。僕の右脳もようやく動き出してきた。作詞のチャンス到来・・・・と思ったが、同時にすごい睡魔にも襲われている。左脳が睡魔と右脳が活性という妙なバランスの中で、高校生の頃のように深夜ラジオのスイッチをONにしてみた。