DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.08.24

8月24日(土)秋雨の精が踊りだして

秋雨の精が踊りだして、夏の祭りがいよいよ幕を閉じようとしている。
睡眠不足・・・というより眠りのリズムが壊れている。明け方のほんの一瞬の3時間程度の“眠り”で一日を動かしている。
本来、夕方ゆっくり静かに聴かなければいけない筈の秋の虫たちの声を、早朝4時に聴いている。この時間帯の方が車のエンジン音にかき消されなくてよく聞こえるのだが。今朝は、夜の延長線上の玉川縁で無数のコオロギの羽音と、せせらぎが重なり合って大きな音の風に変わり、やがて無数の薄を巻き込んだ秋のうねりに変わっているのに耳を奪われていた。
晩秋独特の湿った23度の風の中で、辺り一体は週末の夜明けが来るのを静かに待っている。山梨遼平君の「愛のエンブレム」の詩のように、渋谷あたりのシティライトが遠くに見える。

昔、コオロギを熱帯魚の餌にするために、毎晩採集していた女の子の話を聞いた。その子のあまりの美しさにたくさんのコオロギ達が列を作り身を捧げる童話だった。あのコオロギ達とは、一体何の例えだったのだろうか?

金曜日の午前中、アメリカのルート66の旅から帰国した中内 功会長(僕は永遠に彼をこう呼ぶのだが)にお茶の時間を頂いた。二人で、大声で笑いながら中国の最近の世情やら、アメリカのGPS携帯の利用法の話やら、「夕焼け少年」特製手ぬぐいのデザインの話やら楽しい1時間だった。まるで僕の父親のように。

藤山容子氏(月影写真館参照)は、昔、「有楽町で逢いましょう」をヒットさせたマヒナスターズの女性歌手の松尾和子さんに似ている。こういうとご本人からクレームが付くかもしれないが、なかなかのグラマーでお洒落な母性的美人だ。
藤山さんはコンテンツホルダーつまり、アニメやキャラクターの権利を感覚的に無造作に所有している。このセンスが今の時代に合っている。つまり、これだけメディアが多様化してくると分衆化したニーズに合わせるのは瞬間的なタイミングを数珠のように繋いでいくことが重要。
その意味で、彼女のあたりはずれを見分けるセンスは中々の物だ。今、二人でなんと「梅干」を製作中。

午後の深い時間、飯野ドラッグの卒業生上田氏との会議。とても面白いスキームの誕生だ。日本の薬局が変わるかもしれない。
さらに、夜が近くなって黒に近い灰色の闇が、白いレースのカーテンを通り抜けて部屋のベッドにどんよりと横たわる。きっと睡魔だ。夜明け前の薄明と薄暮の色彩感覚が麻痺し混在した右脳に、水彩の街が黒いタートルネックを被せていく。「もう…少し休んだら。」

突然降り出してきた雨の雫がバルコニーのコンクリートに跳ねて、飛び出してきた10センチほどの雨の精がやさしく耳元で囁いた。