DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.03.23

3月23日(土)徳山くんの世界戦

春雷が鳴って、海岸道りを打ち続けていた雨がやんだ。飛び石連休のせいか首都高速がひどく混雑して試合開始に間に合うかヒヤヒヤしながら第三京浜・港北インターを降りた。アルファ・オメガ・ソフトの小林くん、高橋君をも時間を気にしている。「TVの中継は7時30分からですよ」小林くんが時計を見ながらそう言った。
右手の闇の中にワールドカップの決勝戦が開催される予定の横浜スタジアムが見える。きっと2002年6月30日当日は大渋滞で車を使えないだろう。
先日ソウルを案内してくれた徳山君の弟はWBC世界スーパー・フライ級のチャンピオンだ。在日朝鮮人という自らの立場を誇りに、今日も横浜アリーナで挑戦者の柳光君を倒しにかかる。時間ぎりぎりになってしまったわれわれ3人を入り口でリングサイドのチケットを握り締めた徳山くんが迎えてくれた。ソウルで朝まであれだけ酒を飲んだ後だけに“戦友”が港に迎えにきてくれたようだ。席につくと安川(TAO)くんや(虎の穴)の辛君と挨拶。なんとTV朝日の皇氏も観戦にきている。試合は圧倒的に徳山くんの勝利。前半から一方的にスピードど手数で優勢だったチャンピオンが、ついに9R得意の右ストレートで挑戦者の顎を打ち砕いた。過去の戦績(KO率)から分析するよりかなり腕力がついて、久しぶりの痛快な一発KO劇だった。此処数試合の彼のパンチ力は充分に世界レベルの選手でもKOができるハード・パンチャーに育ってきた。WBAとの統一戦を平壌あたりでやれれば、ボクシングの歴史に彼の名前は永遠に刻まれる。
表に出ると、韓国のチョゴリを着た若い女性がたくさん輪になって踊っている。日本人も一昔前のようにこんな風に国の踊りと、英雄を誇れたらいいなぁ。
ファイティング・原田氏が今でもリングで拍手を浴びているのは、きっと日本人の記憶の熱かった時代のコンテンツだからなぁ。今は、きっと記憶より削除の時代なのだ。