DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2000.01.05

暖かい冬の一日、スーツを一応着込んだ。初日らしいので。

暖かい冬の一日、スーツを一応着込んだ。初日らしいので。

 朝、新宿のイマジニアの会議室で役員会。神蔵君とも久しぶり。去年毎日のように会っていてので、4日も会わないと新鮮で、思わず握手をしてしまった。

 本日から、役員会様に簡単な企画書を渡すことにした。宣伝部の鈴木君を何故か思い出した。ワープロが珍しかった頃、彼は毎回企画書を打ってきた。まめな男だったが今考えてみると、(いい練習をしていたな。)それが羨ましかったのを、思い出した。

 横浜アリーナで、ジャニーズのV6のコンサートあり、その近所で夕飯を食べるため店探しの散歩した。新横浜の駅周辺は、新しいオフィス街なので見るべきもには何も無い。コンビにと、紳士服の青木と、ビジネス・ホテルと大きな幅の道路が走っているだけの街。東京よりも温度も寒く感じられる。ラーメン博物館と言うのが名所ぐらいで、そのせいかラーメンが食べたくなった。人の流れも無い大きな交差点の角に屋台のラーメン屋があったので、暖簾をくぐった。柱に「マリモ」と言うスナックのチラシ張ってあったので、

 「この店、美人が多そうですね。友達の経営ですか?」

「私がやってるんですが、女房が癌で死んじまったモンでね。大変なんっす

よ。」

 いきなりまずい事を聞いてしまった。のだが、客の質問には達観したように、麺を茹で始めた。おじさんの後ろのベニヤの壁に"網走刑務所"記念の小さな暖簾が画鋲でとめてある。

 「この網走の暖簾なんですか?」聞くほうも聞くほうだが、

 「女房が、北海道なんです。「マリモ」ってのも女房がつけたんですよ。」期待に反して、昔の勇壮な過去や、武勇伝はさらさら関係なく愛妻家の屋台のおじさんだった。何でも、韓国の人が多く住む町に、内装の高くついた居酒屋をだして、"つけだおし"に会ったそうだ。その後、長距離の運転手で800万近い借金を返し、この屋台を開いたらしい。いろんな人生の局面で、きっと彼の北海道産の奥さんは屋台骨になっていたんだろうなぁ。麺の量がやや多く、スープは甘く感じたが、足元の風が冷たかったせいか一気にたいらげた。横浜アリーナに来る時の楽しみが増えたのが嬉しかった。見知らぬ街で、知り合いや、もう一度寄ってみたい店が出来ると、犬が柱に小便をつけるように嬉しくなるのかもしれない。衛星放送@も満足そうだったし、